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ご冥福をお祈りいたします
過激ポルノ誌「ハスラー」創刊者、英王室・エリザベス女王の夫、伝説的音楽プロデューサー……【2021年に亡くなった海外セレブ】
2021/12/30 10:00
1980年代後半から活動を始めた人気ラッパー。4月2日に薬物の過剰摂取により心臓発作を起こし、懸命の治療が行われたが、ファンの願いもむなしく9日に死去した。
ニューヨーク出身。家庭は貧しく、母親や母親の交際相手から虐待を受け、暴力的な子どもに育った。万引きや学校への放火などのトラブルを度々起こし、14歳で家出。母親に強制的に入れられたグループホームで、ヒップホップ好きな友達に出会い、ラッパーとしての活動を開始。ヒューマンビートボックスも得意で、91年にヒップホップ専門音楽誌「ソースマガジン」に“未契約の有望ラッパー”として紹介されたことで注目され、レコードレーベルと契約。下積みを経て、98年にリリースしたファーストアルバムが初登場で全米チャート1位となり、人気ラッパーの仲間入りした。
有名になってからも法的トラブルを頻繁に起こし、薬物不法所持、動物虐待、無謀運転、養育費未払いなどで繰り返し逮捕・収監された。犯罪歴が多かったが改心し、09年にボーン・アゲイン(新生)・クリスチャンとして宣教師に。コロナ禍でも宣教活動を行っていた。
子どもの頃からコカインに手を出したDMXは長年薬物依存に苦しみ、16年にも薬物の過剰摂取で死にかけたと伝えられている。晩年は全盛期のようなパフォーマンスは行えないほど衰えていたが、ヒップホップ・アーティストがバトルするライブストリーミング番組『Verzuz』にスヌープ・ドッグと出演。「東海岸の猛犬(DMX)と西海岸の狂犬(スヌープ)の“ドッグ対決”」と、ファンを熱狂させていたばかりだった。
最終更新:2021/12/30 10:00