過激ポルノ誌「ハスラー」創刊者、英王室・エリザベス女王の夫、伝説的音楽プロデューサー……【2021年に亡くなった海外セレブ】
世界中で新型コロナウイルスのワクチン接種が進んだものの、変異株の登場により昨年同様、パンデミックに苦しめられた2021年。その中で多くの命が失われた。新型コロナ以外でも、著名な海外セレブが惜しまれながら亡くなった。21年に亡くなった海外セレブ10人の人生を振り返りたい。
フィル・スペクター(音楽プロデューサー) 1月16日死去、享年81
故ジョン・レノンが「史上最高のレコーディングプロデューサー」と称賛した、伝説的音楽プロデューサー。新型コロナウイルスによる合併症のため、1月16日に搬送先の病院で亡くなった。81歳だった。
1960年代に、音圧を上げて迫力あるサウンドを作る手法「ウォール・オブ・サウンド」を開発。女性グループ「ザ・ロネッツ」の「Be My Baby」、男性デュオ「ライチャス・ブラザーズ」の「You’ve Lost That Lovin’ Feeling」(邦題:ふられた気持ち)など、61~65年の間にヒットした40曲のうち20曲をプロデュース。売れっ子として音楽業界に君臨した。
しかし、薬物を常習していたため、70年代になると奇行が目立つように。過激な行動を繰り返して業界から干され、表舞台から姿を消した。
03年に女優ラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕される。第2級殺人罪で起訴され、09年に禁錮19年の有罪判決が言い渡された。フィルは容疑を否認しているため動機は明らかになっていないが、元妻や元恋人は彼のDV癖を証言している。
カリフォルニア州の刑務所に収監されていたが、亡くなる4週間前に新型コロナウイルスに感染したため、刑務所外の病院に入院。治療を受け刑務所に戻ったが、呼吸困難に陥り再び病院へ搬送され、息を引き取った。
ラリー・キング(司会者) 1月23日死去、享年87
1985~2010年まで続いたCNNの生放送トーク番組『ラリー・キング・ライブ』で、世界的に有名になった司会者。敗血症のため、1月23日に入院先の病院で亡くなった。
ニューヨーク州ブルックリン出身。正統派ユダヤ教徒の両親のもと生まれ育った。9歳の時に父親が亡くなって貧困家庭になったため、高校卒業後は進学せずに就職。夢だったラジオDJは彼の天職であり、「巧みな話術でゲストの本音を引き出す」と評判に。開局間もないCNNでスタートした『ラリー・キング・ライブ』では、政治家、世界を動かす実業家・活動家、ハリウッドスター、トップアスリート相手に、一対一で1時間かけてインタビューを行い、トークの帝王と呼ばれるようになった。
「誠実な人柄が話し相手の心をほぐした」と言われているが、私生活は波瀾万丈で、7人の女性と8回結婚。
『ラリー・キング・ライブ』降板後もウェブ番組などで司会業は続けていたが、17年に肺の悪性腫瘍、19年には脳卒中に見舞われるなど、病に苦しめられた。20年12月に新型コロナウイルスに感染し、入院。コロナには打ち勝ったが、ほかの感染症に襲われ、敗血症で亡くなった。