月収20万円のサラリーマンに嫁いだ皇女、「週3」で東京プリンスホテルに勤務!? 結婚10年目の知られざる「所得事情」
「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――戦後の日本の空気を華やかにした、注目の女性皇族・清宮貴子さま。昭和天皇の末娘(五女)にあたられます。貴子さまの結婚相手は、「民間人」であるだけでなく、現在でいえば年収200万円台のサラリーマン男性でした。お二人の新婚生活はどうなったのでしょうか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 皇女という「雲の上」の存在が、清貧サラリーマンの家庭に嫁ぐことになった面白さもあり、新婚のお二人の周りはマスコミの記者だらけとなりました。新婚旅行先だった宮崎にも当然のように報道陣がついてきていたのです。
――まるでストーカーめいていますね。
堀江 しかも旅路の様子まで、生放送の番組で取り上げられようとしていました。戦後に復活しはじめた皇室の人気を支えた元・皇女としては、マスコミからの要請をそう簡単に蹴るわけにもいきませんからねぇ……。
宮崎へは神戸から船旅でしたが、その様子が1時間に渡って生中継されたのです。しかも、途中に「便秘薬」のCMが流れたことも大きな話題になりました。
――結婚式を生放送したタレントは知ってますが、新婚旅行を生中継とは……。昭和の芸能マスコミの勢いというか下品さというか、すさまじいですね(笑)。そしてCMは便秘薬ですか(笑)。
堀江 読売テレビの悲願の企画で、貴子さんサイドからのOKは出たというのに、スポンサーが放送日の数日前まで付かなかったそうなんですよ。島津さんと貴子さんを追い回している番組のスポンサーになると、逆に会社のイメージが悪化するだろう……と企業側が遠慮したようです。それでもなんとか出資してくれることになったのが、「関西の製薬会社」で、便秘薬のCMになってしまったという(苦笑)。
ちなみに昭和中期の頃、宮崎は日本にいながらにして南国情緒が味わえる場所として有名で、新婚旅行に行く人も多かったのですよ。しかし、当地に到着しても出迎えの人があまりに多かったので、予定どおり大分の高崎山でサルを見たり、別府の名所“地獄めぐり”もできなかったり。貴子さんは旅の疲れもあって、不機嫌そうだったと「週刊公論」(1960年5月17日号、中央公論社)では報じられています。
――なんだか、おかわいそうですね……。一生に一度の思い出なのに。
堀江 旅行後、テレビ番組『スター千一夜』(フジテレビ系)に出演した貴子さんは、今後も旅行などしたら大変なことになるだろうと予測し、「いつになったら二人きりになれるのでしょう」とも発言しておられます。
しかし、結婚から約10年が経過した後も、貴子さんの人気は衰えぬままでした。31歳になった貴子さんは、新しいチャレンジとして、東京プリンスホテルでお仕事を始められたのです。東京プリンスホテルの地下には高級ショッピング街「西武ピサ」があり、その中でも特に一流品の品々を特別なお客様にお勧めする「ロイヤル・サロン」での接客、その名も“サロン・アドバイザー”が貴子さんのお仕事です。