韓国映画『シュリ』『JSA』 から『白頭山大噴火』まで! 映画から南北関係の変化を見る
韓国で長い間、政権に抗う人々を弾圧/排除するため“武器”として「反共」が利用されてきたことについては、このコラム(『チスル』『スウィング・キッズ』『弁護人』など)でも言及してきた。1948年の建国から軍事独裁が終わる90年代前半までは、映画もまたその反共を美化し、国民を右傾化するプロパガンダの手段として使われてきた。当然のことだが、映画の中で韓国(時の政権)は常に「善」であり、北朝鮮はその善を正当化する「悪」の塊として描かれ、そのルールから逸脱すれば問題となった。
たとえば、『7人の女捕虜』(65)では人民軍に助けてもらった韓国の女兵士が彼を“素敵”と形容するシーンが「反共法違反」とされ、監督のイ・マニはKCIA(韓国中央情報部)による拷問を受け、裁判にまでかけられた。北朝鮮を良く描くことは、1mmたりともあってはいけなかったのだ。イ・マニ監督はその後「罪滅ぼし」として、徹底した反共映画『軍番なき勇士』(66)を撮らざるを得なかった。
98年に金大中(キム・デジュン)政権が発足し、北朝鮮に対する融和政策「太陽政策」が本格化すると、反共にがんじがらめにされて硬直していた時代もようやく終わりを告げ、反共映画も著しく変化を遂げることとなった。その幕開けを国内外に広く知らしめたのは『シュリ』(カン・ジェギュ監督、99)である。北朝鮮のテロリストやスパイを「内面を持つ一人の人間」として描き、それまでの反共映画とは比較にならない進化を見せたのだ。とりわけ、金大中大統領の平壌訪問と、金正日総書記との南北首脳会談の実現は、北朝鮮との関係を敵ではなく同じ民族の視点から見直す動きに拍車をかけた。本作の南北共闘の根底にある「同一民族主義」は、この時代に形成されたものにほかならない。