韓国現代史最大のタブー「済州島四・三事件」を描いた映画『チスル』、その複雑な背景と「チェサ」というキーワードを読み解く
一方、国連に持ち込まれていた統一政府樹立のための「南北総選挙」は、人口比例による議席配分によって北側が不利になるという理由からソ連が受け入れず、実現には至らなかった。その結果、1948年5月10日、李承晩が当初から望んでいた通りに南だけの総選挙が実施された。だが済州島では武装隊が投票所を襲撃、3カ所の投票所のうち2カ所が破壊される選挙妨害事件が起こった。当然米軍政は激怒し、このときから済州島は、はっきりと“アカの島”の烙印を押されることになる。総選挙後、韓国初の国会が構成され、そこで李承晩が初代大統領に選出、米軍政の時代は終わりを告げて、同年8月15日に韓国政府が誕生したのである。
「反共」を大々的に掲げた李承晩政権によって、済州島の武装隊討伐と島民をアカに仕立て上げての「アカ狩り」作戦は一層エスカレートしていった。海と山からなる済州島で、武装隊は山間部に隠れて活動していたことから、政府は海岸線から5キロ以上離れた中山間地域、山岳地帯を通行禁止区域に設定、区域内に入れば暴徒と見なして無条件に射殺してよいという命令を下す、「焦土作戦」を決行した。
この作戦は朝鮮戦争を経て休戦後まで続き、1957年に最後の武装隊員が逮捕されて「済州島四・三事件」はようやく終結したが、島の人口の約10%にあたる3万人近くの人々が犠牲になった。そのほとんどが武装隊とは縁のない一般島民であったことは言うまでもない。軍事独裁政権時代にはタブーとされてきたこの事件への真相究明の動きが本格化したのは、98年に金大中(キム・デジュン)が大統領になってからである。
選挙公約として犠牲者や遺族の名誉回復と真相究明を掲げた金大中は、2000年に「済州4・3特別法」を成立させ、これを引き継いで03年には盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、現役大統領として初めて国家暴力の事実を認め、犠牲者に対し正式に謝罪した。21年2月には特別法の全面改正案が国会で成立し、事件から73年を経てようやく被害者への補償の道も開かれ、事件は初めて遺族に寄り添う方向を向いたのである。
以上が「済州島四・三事件」の全体像だ。
実態はさらに複雑であり、単純に善悪の分類ができない部分も多い。だが多くの島民たちは、イデオロギーとは関係なく、夜に山から下りてきた隣人にご飯を分け与えたとか、仲良くしていた知人を一晩かくまったといった近所付き合いの延長にすぎないささやかな親切によってアカの濡れ衣を着せられ、有無を言わさずに殺されてしまった。その悲劇は紛れもない真実である。
済州島出身のオ・ミョル監督もまた、身近にそうした悲劇を抱えていることだろう。だが監督は、済州島の悲劇を声高に主張するのではなく、一見して静かに、あえて私的な物語としてこの映画を作り上げた。その狙いは何だったのだろうか?
映画は、漢字とハングルで記される4つの章から成り立っている。「神位(신위、シニ)」「神廟(신묘、シンミョ)」「飲福(음복、ウンボク)」「焼紙(소지、ソジ)」、日本人にはなじみのない言葉だろうが、これらはそれぞれ、先祖を祀り、死者を慰める韓国の伝統的法事「チェサ」の中の儀式を意味している。
チェサで行われる儀式に沿って映画のテーマ、物語も構成されていることから読み取れるのは、この作品が“犠牲者たちの鎮魂・慰霊”を意図しているということだ。それでは最後に、監督がそれぞれの章で何を描いたのか、儀式の名称と物語の展開から見てみよう。