ホン・サンス作品の神髄『ハハハ』――儒教思想の強い韓国で、酒と女に弱い“ダメ男”を撮り続ける意味とは?
近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『ハハハ』
ホン・サンスという映画作家をご存じだろうか。多額の予算が組まれて多くの人間が携わるメインストリームの映画とは異なり、インディペンデントな製作スタイルで次々と作品を発表しては、海外の映画祭で受賞を重ねている人物だ。フランスの映画作家エリック・ロメールと比較して語られがちで、実際フランスでは特に人気が高いらしい。
確かにホン・サンスの映画は、ヌーヴェル・ヴァーグの登場に寄与したフランスの批評家アレクサンドル・アストリュックが唱えた、「カメラ=万年筆論」(万年筆で紡がれる書き言葉のように、映画はカメラを使って柔軟で繊細に書かれるべきものである、という理論)を地で行っているようなものだ。とにかく、ほかのどの映画監督とも異なる作風と立ち位置で、韓国映画界という海を一人飄々と泳いでいる。
彼のほとんどの映画は、彼自身が投影されているであろう映画監督が主人公だ。主人公の監督は大学で教え、それなりに知られてはいるものの、いつもスランプに陥っていて、物事がうまくいかずに悶々とする。さらには教え子と不倫関係にあったり、家族のある身でほかの女を追いかけ回したりと、ろくでもない。もちろんどの作品もまったく異なる映画なのだが、あらすじを書くとすべて同じような物語となり、その反復的な語り口は、日本が生んだ世界の巨匠・小津安二郎ともつい比べたくなってしまう。そんな作家性の強さゆえ、観客の好き嫌いがはっきり分かれ、さらには近年、彼のミューズに君臨する女優のキム・ミニとの不倫関係が明らかになったことで、韓国では一時バッシングの大合唱が吹き荒れた。それでも2人は気にすることなく関係を続け、コンビを組んだ作品は世界各地で相変わらず受賞を続けている。
とりわけ、ホン・サンスの映画は新作発表の頻度が早すぎるがゆえに、日本で配給されないケースも多いが、この6月には新作『逃げた女』が日本公開を迎える。それに合わせて過去作品の特集上映も行われており、彼の作品をスクリーンでまとめて見る、またとないチャンスとなっている。そこで今回のコラムでは、ホン・サンスの過去作品の中から『ハハハ』(2010)を取り上げてみたい。
“韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学ぶ”ことを目的とした本コラムで、一体ホン・サンス作品にどんな社会的要素を見いだせるか――それは「韓国人の男らしさ」の問題である。
上述したように、ホン・サンス映画に登場する男たちは総じてだらしがなく、酒ばかり飲んでいて、人としてとても尊敬に値しない。だが、儒教思想に基づいた男尊女卑がまかり通った韓国社会において、ダメな男性主人公を描き続けることはともすると、社会に対する強烈なアンチテーゼといえるのではないだろうか? ホン・サンス映画の男たちは、韓国の歴史と社会が男性に対して押し付けてきた、そしてほかの多くの映画が提示してきた「あるべき男性像」を反転させ、本当の姿をさらけ出すことで韓国の男たちを強大なプレッシャーから解放してくれようとしているのではないか?
そんな関心から、主人公2人のダメ人間ぶりが最も顕著である本作を選んだ。また、先月『ミナリ』でアカデミー助演女優賞を受賞したユン・ヨジョンは、ホン・サンス映画の常連俳優の一人であり、本作でも重要な役で登場することから、この映画を通して彼女の多彩な魅力にも触れてもらえれば幸いである。