「古きよきヤクザの時代」の終わり――引退した神戸山口組幹部が語る“いい話”
菅谷組も波谷組も最後は残念なことになるのですが、菅谷組が解散した1981年、奥浦元顧問は三代目山口組直系・長谷組の舎弟として山口組に復帰、奥浦組を率いて、生まれ育った東大阪を拠点にしていました。
1989年には渡邉芳則組長が五代目山口組を襲名、奥浦元顧問は直参に昇格して奥浦組は560人を擁する組織になります。
「三代目の田岡(一雄)の親分は、終戦後の日本の治安を守るために組織を成長させてくれた。雲の上の人やった。四代目(竹中正久組長)は、ええ、悪いがハッキリしとって、例えるなら桜の花のような人やった。見事で、きれいで、ほんまに邪念のない…。五代目は、いろんなことがあっても組織を固めてくれた」
元顧問は「週刊実話」のインタビューに、こう答えています。神戸山口組や山口組の分裂については、「残っとるもんもおるから…」と多くは語られていませんが、「山口組を潰すために出たわけではないから、『神戸』の名前を付けた。山口組が少しでも正しいほうに向かって、悪やなしに善のほうが多いというのを示してくれればええと思う」と、やはり「反社会的勢力」と批判されていることに心を痛めているようです。
今年78歳になられるそうですが、まだまだお元気そうで何よりです。神戸山口組設立も、古希を過ぎてからのご決断ですから、心労は多かったと思います。これからは愛国的な活動をされるようで、注目ですね。
ちなみに報道によりますと、警察は「神戸山口組の幹部がどんどん辞めている」とうれしそうですが、六代目山口組だって構成員の人数は減っています。
それに、どこの組織でも「在籍組員」は減っているけど、「不良」は減っていないでしょう。偽装脱退かもしれませんし、辞めた兄弟分や半グレとコラボして、すでに犯罪に手を染めているかもしれません。
ちなみに神戸山口組は、人数は減っても「敵は弘道会」とか「終生、六代目山口組に戻ることはない」という方針は変わらないそうですから、山口組の分裂問題が落ち着くのは、まだ先のようです。