ブリトニー・スピアーズにまつわる騒動を振り返る【後編】――後見人問題、「#FreeBritney」運動
米紙ニューヨーク・タイムズが制作したドキュメンタリー番組『Framing Britney Spears(ブリトニー・スピアーズをはめる)』が、今年2月に米Hulu/FXで公開され、全米で大反響を呼んでいる。
同番組では、ブリトニーが後見人問題が掘り下げられているが、なぜ彼女は現在、このような制度下に置かれているのか。そして、「#FreeBritney」運動とは何か。前編に引き続き、これまでの流れを見てみよう。
2009年:後見人制度を終了させたいと弁護士にコンタクト
ブリトニーは、ツアーのリハーサルの間を縫って、後見人制度を終了させたいと弁護士にコンタクトを取る。弁護士との仲介役はサム・ラフティで、そのことを知った父親ジェイミーは、「接近禁止令を解除した時の条件に反し、ブリトニーと接触した」と激怒。再び接近禁止令を申請し、サムは以後3年間、ブリトニーに近づくことを禁じられた。
サムもブリトニーの両親に反撃している。08年9月に母親リン・スピアーズが出版した暴露本『Through the Storm』で、「ブリトニーを薬漬けにし、周囲との連絡を絶たせ、彼女の人生だけでなく資産も意のままにしていた」とつづったことに対して、サムは名誉毀損で訴えを起こした。ブリトニーに対しても、マネジメントしていた間の費用をもらっていないとの訴えを起こした。
2012年:『ファム・ファタール』ツアーが大成功
11年にリリースした7枚目のアルバム『ファム・ファタール』、これを引っ提げたワールドツアーも大成功を収めたブリトニーは、12年に米版『Xファクター』の審査員に就任。史上最高の1,500万ドル(約16億3,000万円)のギャラが話題になった。
この時、婚約者だったジェイソン・トラウィックが、共同後見人に指名され、ブリトニーの私生活を管理するようになった。『Xファクター』のオーディションは米各地で行われ、出場者と接する機会が多いため、父親がジェイソンを使い監視したのだと推測された。
ブリトニーは1年で番組を降板したが、それと同時にジェイソンは後見人を外れている。