中田敦彦より、藤森慎吾のほうが「生き残る」と思うワケ……オリエンタルラジオの「地味なほう」を考える
コンビやトリオなど、人が2人以上いれば、「目立つほう」と「目立たないほう」に分かれてしまう。目立たないほうは、「じゃないほう芸人」といわれてしまったりする。人気商売で「じゃないほう」と呼ばれるのは名誉ではないだろうが、実は「じゃないほう」「地味なほう」芸人は、ながーく活動ができるという意味で、トクなのかもしれない。
例えば、博多華丸・大吉。博多華丸が児玉清さんのモノマネで、06年の『R-1グランプリ』に輝いたことから、華丸の知名度が上がっていく。優秀な「じゃないほう芸人」は、こんな時に「あいつばっかり売れる」と腐らずに、静かにチャンスを待つことができる。
相方の大吉もそのタイプで、彼は08年に『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に出演した際、イケてない中学時代を振り返り、大ウケ。文化祭の後、焼却炉でなんでも焼いてしまう自分自身を「焼却炉の魔術師」と表現して、同年の「アメトーーク大賞」の「流行語大賞」を受賞している。続いて、大吉は10年に『年齢学序説』(幻冬舎よしもと文庫)を発表。同書では、成功者を客観的に分析し、「年齢に隠された成功の秘密」を解き明かしているのだが、つまり彼は「主役じゃない」視点を生かして仕事につなげ、ファンを増やしているのだ。
雨上がり決死隊の蛍原徹も「じゃないほう」といえるのではないだろうか。相方である宮迫博之が、バラエティ以外にもドラマなどで活躍し、有名俳優との華やかな交流をテレビで話しているのに対し、蛍原がするのは競馬の話くらい。そういう意味で、蛍原は「地味なほう」だろう。
しかし一昨年、宮迫は闇営業問題で吉本興業から契約を解除され、『アメトーーク!』をはじめ、コンビとして活動していた番組を蛍原が1人で引き継ぐことになった。当初はネット上で、それを不安視する声もあったが、ニュースサイト「デイリー新潮」19年10月18日掲載の記事によると、宮迫が降板してからのほうが番組の視聴率は伸びているという。「じゃないほう」と思われていたかもしれない蛍原だが、今まで前に出ないだけであって、実力はあったということだろう。