華原朋美、『アウト×デラックス』で“爆弾発言”連発! どれだけメンタルを心配されても……「彼女は引退すべきではない」理由
(初出:2018年7月19日)
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の有名人>
「私は私の幸せを考えたいな・・・華原朋美としてではなく」華原朋美
(華原朋美インスタグラム、7月15日)
確固たる地位を築いた芸能人が、「芸能界を辞めたい」と漏らすことは時々ある。例えば、とんねるず・石橋貴明の妻である女優の鈴木保奈美は、“トレンディードラマの女王”と呼ばれていた頃、雑誌のインタビューで、繰り返し「スーパーと家の往復で幸せになれるタイプ」「辞めたい」と話していた。そして保奈美は、石橋との結婚で本当に芸能界を引退してしまう。あれだけの売れっ子でありながら、大々的な引退興行は行わないまま引退しただけに、「無理やり辞めた」印象が残った。
3人の子どもを出産、育児に専念していた保奈美だが、10年後に再び芸能活動を開始している。保奈美だけでなく、引退を表明した芸能人が臆面もなく戻ってくることは多い。なんのかんの言っても、芸能人というのは「人に見られないと死んでしまう病気」に近いものにかかっているからではないだろうか。
芸能人の誰もが、見られたい、前に出たいと思うからこそ、諍いが起きる。精神的なストレスも相当なもので、神経の細い人に向かない職業とも言える。が、不安定な人だけが持つ華も、人々を魅了すると思う。例えば、『スター誕生!』(日本テレビ系)史上、最高得点で合格した中森明菜。3枚目のシングル「セカンド・ラブ」でオリコン1位を獲得するなど、トップアイドルとして上り詰め、デビュー前からファンだったという近藤真彦と交際を始めるも、関係がこじれて自殺を図る。ここから長い低迷が始まるのだ。
明菜の旬は、デビューした1982年から89年、テレビに出まくっていたおおよそ7年間。その後、テレビで姿を見ることも少なくなり、新曲も定期的に発売されることはなくなって現在に至る。数字だけで言えば、歌手として沈黙している時間の方が長いのに、ファンは愛想を尽かさない。明菜がディナーショーを開くとチケットはすぐに売り切れるというのが、その証拠だ。不安定さや不器用さで愛されるのもスターの証拠である。
華原も明菜と同じく、不安定さやダメさが魅力の芸能人ではないだろうか。深夜番組ではしゃいでいたB級アイドルが、時代の寵児的な大物プロデューサー・小室哲哉に見初められ、トップアイドルへ。しかし、いい時は長く続かず、小室の心変わりによりポイ捨てされたといわれている。自殺未遂、薬物依存など絵に描いたような転落を経験し、2009年に事務所を解雇。番組名は失念してしまったが、華原がボイトレと称して、カラオケボックスで一人練習する姿はまるで素人のようで、全盛期を知る身としては切なかった。