コラム
【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!
皇后さまと女官の複雑な関係明らかに!? 知られざる寵愛と「手紙」の存在
2021/04/17 17:00
堀江 当時64歳の今城さんは独身で、実家に帰るというわけにもいまさら……という状態でしたが、女官時代の今城さんに奉仕していた美佐恵さんという女性を養女にしていたそうです。
女官が私的に雇う使用人のことを「家来」と呼び、家来は女官を「旦那さま」と呼びます。今城さんの養女になった当時の美佐恵さんは、30歳。家来から旦那さまの養女というのは、出世といえるでしょうね。
今城さんが仕事を辞めるという昭和46年6月30日、皇后さまは「今回は讒言(ざんげん)によって、今城さんを解雇せざるを得なくなったけれど、あなたの人柄は私が保障するから、いつか折をみて再任する」という趣旨の直筆の手紙を手渡されています。また、赤坂御用地内で暮らしている頃、今城さんのところに皇后さまから電話が3回かかってきたとか……。
女官として解任された後、今城さんは約半年の間、宮中近くの赤坂御用地内で暮らしていたのです。詳細は公表されていないのですが、関東の富裕な一族出身の美佐恵さんが継承した土地に、今城さんと住む家を新築するまでの配慮だったとか。
――皇后さま、今城さん、そして養女・美佐恵さんという女たちの関係が素敵ですね。
堀江 その後も今城さんと宮中との縁が完全に切れたというわけではなく、年に何回かは、宮中に招待され、皇后さまとも面会なさっていたようですね。入江侍従長による例の『入江相政日記』(朝日新聞社)の刊行がはじまった平成2年(1990年)には、まだご存命でしたので、入江氏による魔女呼ばわりに気づいておられかもしれませんが、誰にも会おうとはせず、何の反論もしないままでした。そして、平成5年2月に85歳で亡くなられたそうです。