天皇陛下を味方につけた侍従長、女官を追放! 宮内庁に渦巻く“男の嫉妬”が生んだ悲劇
――偉い人を怒らせると怖いんですね~。
堀江 入江氏に何度拒絶されても、皇后さまが今城さんをヨーロッパに同行させたがったことは事実なんです。入江氏はそれを今城さんの入れ知恵であり、皇后さまに「私ぬきで皇后さまは本当に大丈夫なんですか!?」などと脅していたように、「感じていた」ことも推測されますね。そして手を焼いた入江氏は、ついに昭和天皇を味方につけます。
たとえば、こんな文章が彼の日記に出てきます。皇后さまと入江氏が「今城さんを連れて行くか、行かないか」でバトルになった結果、皇后さまが「仕方ない」と折れたことを、昭和天皇に入江氏が伝えたところ「そんならよかったとの仰せ」(昭和46年4月3日)。
しかしその後も、やはり今城さんの同行について考え直してほしいと皇后さまは問題を蒸し返し、入江氏が昭和天皇に相談したところ「そんなに言ふことを聞かなければやめちまえ」と仰ったそうな(4月9日)。ちなみに、これは今城さんだけでなく、皇后さまも「(旅行は)やめちまえ」という意味ではないでしょうか。
――素顔の昭和天皇、「そんなら」とか「やめちまえ」とか、意外に江戸っ子口調で頼もしいですね(笑)
堀江 恐らくですが、昭和天皇も、信心深い皇后さまを籠絡し、「祭祀をもっと重視してください」と迫ってくる今城さんの過剰な伝統重視について、つらいものをお感じだったのではないか……と。そもそも天皇の一番の“つとめ”である祭祀問題に、一人の女官が、皇后さまを経由してにせよ、ここまで迫ることが許されるのかどうかという問題でもありますね。
昭和天皇の母宮で、昭和天皇に対して「祭祀には熱心さが足りない」と批判的だった貞明皇太后がまるで甦って、宮中祭祀を強いているかのような印象を、今城誼子という女官に感じていたのかもしれません。実際、今城は貞明皇太后の御所に勤めていた女官でしたからね。