『ザ・ノンフィクション』東北出身者に「地震のとき大丈夫でしたか?」と聞くことの重さ「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<後編>」
哲也と、また、先週放送の前編で出てきた福島県、南相馬市の絵里奈の2人は22歳、21歳だが、自分の思いを冷静に伝えるその姿はとてもしっかりしていて、大人びていた。現代日本に生きる、まだ社会に出ていない学生の22歳、21歳ならもっと浮ついてるくらいが普通だろう。
哲也は、震災を経験した子どもは子どもではいられなかったと話していた。子ども時代を唐突に諦めなくてはいけなかった震災時の子どもたちの心境を思うと切ない。なので、哲也が中学生のときに反抗期で父、英昭と険悪な雰囲気になっているのを見て、逆にそういう子どもっぽい感情を出せるのだと、ほっとしてしまった。
この放送の前編で、取材を受けた過去が重荷になっている哲也が気の毒だと書いたし、その思いは後編を見た今もあるが、過去はもう変えようがないことだ。哲也は自分が発している危機感に耳を傾け、そこから今後は取材を受けず自分のことを考えていくと決断し、さらにその決断を感じよくスタッフに伝えることができる。賢くて優しい青年だと思った。
スタッフと哲也が別れるところで番組は終わったが、哲也は大丈夫だろう、と思える別れだった。
東北出身の人に「地震のとき大丈夫でしたか」と聞くことの重さ
私は宮城県出身で、震災時は東京で生活していたが実家は今も宮城だ。出身や実家の話になると「震災の時にご実家は大丈夫でしたか?」とかなりよく聞かれる。3分の1くらいの人は聞いてきたのではないかと思うくらい聞かれた。
相手に悪気はないのはわかるのだが、聞かれるたびにモヤっとしていた。「家族や友人を亡くしました」「家を失いました」と返ってくるかもしれない質問を、なんでそんなに軽く聞けるのだろう。そう返ってきたら、どうするつもりだったのだろう。
今までは仕方なく話していたが、今回の前後編を見て「地震のことはあまり話したくないです」と、これからは気まずくなってもいいので言おうと思う。哲也を見て、私も哲也のように正直でありたいと思った。私が地震のときに感じたさまざまな気持ちの中には、今も残る強い憎しみもある。世間話のような状況で話せるようなものではない。
この春、東北から上京してくる人も多いかと思うが、たぶん、そのほとんどの人が「地震のとき大丈夫でしたか?」と悪気なく聞いてくる人に会うと思う。悪気がないというより、あまりにも聞かれるので、聞くのが気遣い、マナーみたいに思っているフシすら感じる。もうちょっと想像してほしい。ここに書くことで少しでもそういう人が減ってくれればと願う。
次週の『ザ・ノンフィクション』は「ふたりの1年生 ~新米先生と海の向こうから来た女の子~」新米小学校教師、橘川先生のクラスには、日本語が話せない中国からの留学生、ナイヒちゃんがいた。新米教師と日本語がわからない2人の「1年生」の2年の記録。