ジャニーズ“伝説の振付師”が評価! 「自分で振り付けしちゃいなよ」と認められた最初のグループはTOKIO!?
2月27日放送のラジオ番組『アッパレやってまーす!~土曜日です~』(MBSラジオ)内で、TOKIO・城島茂がバックダンサー時代を回顧。SMAPのコンサートに同行した際に起きたアクシデントをきっかけに、ジャニー喜多川前社長から褒められたというエピソードを披露した。
城島をはじめ、お笑いコンビ・さらば青春の光(森田哲矢・東ブクロ)、尼神インター(誠子・渚)、日向坂46・齊藤京子がパーソナリティを務めている同番組。この日のオンエアーでは“伝説の振付師”こと、ボビー吉野氏のインタビューを見たリスナーからのお便りを紹介した。
ニュースサイト「NEWSポストセブン」(2月9日配信)の記事によれば、ボビー氏はジャニーズ事務所の「礎を築いた1人」とも言われており、少年隊の「仮面舞踏会」や、光GENJIの「STAR LIGHT」など、数々の名曲を手がけた人物。そんなボビー氏が「実はTOKIOはみんな踊れるんですよ。レッスンも長くやっていたし、少年隊のバックダンサーをやっていたぐらいなんで、むしろうまい。松岡(昌宏・44才)は態度がデカかったけどダンスはうまかったよ。TOKIOはSMAPより踊れたね」と、話していたのだ。
リスナーは「TOKIOがダンスをしながら歌っているのを見たことがありません。リーダー(城島)が踊るなんて想像もできません」と率直な感想をつづっていたが、これを受けて本人は「26年以上踊ってないですから。踊れないですけど、もう」と謙遜。森田が「TOKIOっていつから楽器持ち出したんですか?」と尋ねたところ、
「1988年に僕はもう、高校卒業してギター持ってやってたんで。(ジャニーズの)合宿所で。で、89年ぐらいから『TOKIO BAND』っていう名前で。そもそも『TOKIO』って名前をもらったのが、その89年だったんですけど、そこはまだメンバーがうちのベースの山口(達也)と当時、2人しかいなくて。そこから松岡、(国分)太一、もう一人、小島(啓)ってやつがいたんですけど。彼はサイドギターでやってたんですけど。長瀬(智也)がバトンタッチというか、サポートダンサーで入ってきたんですよ。ダンスチームで」
と、TOKIO結成までの経緯を語った。もともとバンドユニットのため、この時まだ12歳だった長瀬はジャニー氏の提案で、タンバリンの担当に。94年のデビュー時は小島を除く5人となったが、「それまではだから、バンドがメイン。ホンマはメインやったんですけど。それだけでは仕事ないんで。バックダンサーもしなきゃいけないっていうのがうちの事務所なんで。やってたら、ダンスのほうがやっぱ、仕事多いんですよ。気がついたら、少年隊、忍者のバック、光GENJI、SMAP掛け持ちで行ってましたね」と、思い返す城島。
幻のメンバーの情報を含め、TOKIOの歴史を知らなかったレギュラー陣は「へぇ~」などと相槌を打ち、城島の話に聞き入っていた。バンドよりダンスの仕事が増え、デビュー前にして多忙な日々を送っていたTOKIOだが、振り付けを忘れてしまうこともあったという。