関ジャニ∞・村上信五、「思い通りにいってへん時」「くすぶりの延長」と“人生”を振り返る……冠番組の対談企画が好評
関ジャニ∞の冠番組『関ジャニ∞クロニクルF』(フジテレビ系)が2月8日に放送され、職種の違う同世代のトップランナーとメンバーがトークする企画「R40」が行われた。今回は、村上信五が人気カレー店「SPICYCURRY魯珈」の店主・齋藤絵理氏と対談した。
東京・新大久保にある「SPICYCURRY魯珈」を、1人で切り盛りする齋藤氏。“スパイスカレーブームの先駆者”と呼ばれ、約10種類のスパイスで作ったルーと、台湾の魯肉飯を合わせたカレーには、毎日オープンの3時間前から行列ができるという。グルメサイト「食べログ」での評価が「3.98」と聞いた村上は、「カレー1本で? どんな球しとんのや?」と興味津々。
さっそく店内にて、お互いの人生を振り返りながらトークを開始。齋藤氏は17歳でカレー屋になることを決意したが、大学卒業後にはダンサーの道へ。しかし、その道は厳しく挫折してしまい、25歳でダンサーを辞めて有名カレー店で7年修行した後、33歳で独立したのだそう。
一方、村上が18歳の頃はジャニーズJr.として活動するものの、「思い通りにいってへん時やから。周りは高校、大学、就職っていうレールを見ているさなか、こっちはなんにも(決まってない)」とデビューも見えていなかったと言い、両親からは「普通に就職してほしい」と思われていたのだとか。
「村上くんは芸能人になりたいって思ってたの?」という齋藤氏の問いには、「これは今の自分やったらアホか言うとるけど、“楽して金稼げる”と思った」とぶっちゃけ、自ら大爆笑。「それがいざやり始めると、現実と乖離していくよね」「僕らの時、18でデビューできなかったらもう遅い」と、ジャニーズを辞めるか続けるかを考えた年齢だとも語った。
その後、村上は「関ジャニ∞」としてCDデビューしたものの、23歳の頃は「くすぶりの延長やね。関西の先輩でKinKi兄さんっていう圧倒的な先輩がいてるから、肌で感じるやん。この人にはかなわないなって」と、KinKi Kidsの存在が大きかったと吐露。ある意味、挫折を感じたという村上は、KinKi Kidsとは違う道を模索。それが今の関ジャニ∞のスタイルに結びついたと明かしていた。
また、「日本一のカレー屋になりたい。一番にならないと意味がないと思った」と、カレー界ではまだ誰も獲得したことのない『ミシュランガイド』の星を目指すという齋藤氏に、村上は「うわー、いいなー」と感動しつつ、自身が若かった頃は“一番の定義”が難しかったと振り返る。現在は「この仕事ができなくなった時に、自分にしかわからない“ちっちゃい一番”をいっぱい持っておきたいなと思ってる」と言い、「俺らもジャニーさんからいっぱい小さいのもらってる。『YOUそれでいいんだよ。素直なところがいいんだよ』とか」と、ジャニー喜多川氏からかけてもらった些細な言葉が、今は自信になっていると告白。
その後、村上は34歳の頃から、スポーツや経済の分野など、バラエティ以外の番組でも仕事をすることが多くなったそうだが、「よくわからなくなっていた時でもあった」とのこと。しかし、多ジャンルで活躍していることについて、斎藤氏が「日本を元気にしたり、明るくする日本の大切な宝だと思う」とベタ褒めすると、村上は「嘘やろ?」と連呼しつつ、うれしさを隠せない様子。この発言を受け、今年の目標を「まずはこの国を明るくすることやね」と語っていたのだった。
この放送にネット上では、「今日の『R40』もすごくよかった。このコーナーは村上くんのいいところや、すごいところが伝わる。本当に“宝”です!」「村上信五さんは日本の大切な宝で間違いございません」「ジャニーさんの褒め言葉が村上くんを支えていると思うと泣ける。いい話が聞けてよかった」などのコメントが寄せられていた。