「余命10日」宣告の母が死なない……壮絶な看取り介護を通して知った「尊厳死は苦しまない」のウソ
——自分以外の死の決断を下す心理的負担は、想像を絶するものがあると思います。
鳥居 結局、縁の深い人の死に対し、満足するということはありません。だからやっぱり、人生の幕引きは、その人自身が決めるべきだと思うんです。しかし、いざ死について考えようにも、「人がどういうふうに死んでいくのか」を詳しく知っている人が、どれほどいるのでしょう。例えば、一口に延命治療といっても、人工呼吸器や気管切開、胃ろうなど、いろんな治療がある。また、延命の考え方だって、医者が「心臓さえ動いていればいい」と捉える一方、家族は「ある程度、意思疎通ができる状態」を想定するなど、すさまじい乖離がみられます。さらにいうと、「痛みだけ取ってくれれば、寿命が縮まってもいい」と希望する場合、じゃあその痛みってどのレベル? という話になるわけですよ。
だから、ドクター側が、最新の延命治療に関する細かなチェックリストを作ってくれたら……と思いますよね。元気なうちに、そのリストを通して、自分はどうしたいのかをしっかりと示しておくんです。実際に病気になると、「生きたい」という気持ちが強くなるので、そのリストにも変更が出てくるでしょうが、けどみんな、苦しみたくはないわけで……。「どこで諦めるか?」は決めなければいけませんよね。
——最近では、延命治療を行うよりも、尊厳死を選んだほうがいいという風潮もあります。
鳥居 それもまた、人がどう死ぬのかを知らないがゆえに、「尊厳死は苦しくない」というイメージがあるからでしょうね。でも尊厳死を選んだ母は苦しんでいたし、私も苦しかった。母が亡くなった後、姑が私に「どんな死に方を辿ろうとも苦しいもの」「それを遺された者が思い煩う必要はない」と言ってくれたことで救われましたが、母の看取りが苦しかったのは、突き詰めると、やっぱり「人がどう死んでいくか知らなかったから」、そして「母の意思がわからなかったから」に尽きると思います。
団塊より上の世代である母は、「幼い時は親に従い」「結婚したら夫に従い」「老いては子に従え」という“自分の意思をはっきり主張してはいけない”とされる時代の人だったんですこの傾向は、日本にまだまだ根付いてしまっているようにも思いますが。自分の意思を口に出して言えないと、それをかなえたいとき、周りにやらせようとしてしまう。エクスキューズをちりばめた婉曲的な表現で、人を駒のように扱い、自分の思いを実現させようとする……そういった“毒母”を生むのかもしれませんね。
——鳥居さんの最新刊『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』では、介護・看取りをする側へのアドバイスがつづられていますが、あらためて、ゆくゆく自分はどう死にたいのかを考えるきっかけにもなりますね。
鳥居 自分の死についての意思をはっきりさせておくことこそ、いい人生の幕引きにつながるのではないでしょうか。「死」を家族の中から遠ざけず、話を重ねて、意思疎通を図ること。その大切さが伝わればいいなと思います。
鳥居りんこ(とりい・りんこ)
エッセイスト、教育・子育てアドバイザー、受験カウンセラー、介護アドバイザー。『偏差値30からの中学受験』シリーズ(学研)など、中学受験の著書で広く知られる一方、近年は実体験を元に、介護問題へのアドバイスを行っている。『鳥居りんこの親の介護は知らなきゃバカ見ることだらけ』『親の介護をはじめたらお金の話で泣き見てばかり』『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』(いずれも学研プラス)など著書多数。
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