限界を見た姑の介護、それでも「最期まで本当にいい姑でした」と語る胸中とは?
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
東野晴美さん(仮名・51)は、アルコール依存症で暴力をふるう父親と、東野さんを常に監視する母親との関係に悩んできたが、結婚後はわだかまりもなくなっていた。父親は長年のアルコールがたたり、ほとんど寝たきりになっていたが、晩年に離婚した母親が10年も介護をして看取った。
父親の死後、レビー小体型認知症になった姑を自宅に引き取って介護していた義姉だったが、夜中に幻覚が見えて叫ぶなどの症状に疲れ果ててしまう。「助けてほしい」と言われた東野さんは、これまでかわいがってくれた姑を義姉とともに介護しようと腹をくくった。
「ご飯を食べさせてもらえない」と言われても許せた
東野さんはレビー小体型認知症について勉強し、週の半分ずつ義姉と交代で姑を介護することにした。
義母は毎日デイサービスに通い、夕飯まで食べて戻ってくる。介護するのは夜だけだろう、と言うのは認知症介護の実態を知らない人の言葉だ。その夜が大ごとだった。
「助けて!」と大声を出して暴れる。定期的に体位交換しなければならない。肺炎を繰り返していたため、痰の吸引も必要だった。義姉が東野さんに助けを求めたのも無理はない。覚悟して介護をはじめたものの、日中は仕事をしている東野さんにとって、夜ほとんど眠れないのはこたえた。
「私のこともわからなくなっていて、単なるヘルパーだと思っていたようです。でも、時々『晴美ちゃん、どこにいる?』と私のことを探している姿を見ると、義母の中に私の存在はちゃんとあるんだと思えました。安定しているときには、『私は幸せ』と笑ってくれる。だから『ご飯を食べさせてもらえない』と言われても許せたんです」
しかし睡眠時間がほとんど取れなくなって、東野さんの疲れは限界に達していた。
「とうとうある夜、義母の痰が溜まり、喉がガラガラ鳴って、ブクブク泡が出ているのにも気づかず寝入ってしまったんです。異常に気付いた夫が、隣室から電話をかけて起こしてくれたので、大事に至らずにすみましたが」
夫は何をしているのか? と疑問を抱く人もいるだろう。先の記事で触れたように東野さんの夫は障害を持っているため、母親の介護をするのは不可能だったのだ。
こうして東野さんは何とか介護の担当日を乗り越え、義母はその翌日義姉の家に移った。そして、翌日からまた東野さんの家に行くというその夜に亡くなった。
「義母は私が限界だとわかってくれて、うちに来る前に亡くなったんだと思います。最期まで本当にいい姑でした」
東野さんも義姉も介護をやりきって、悔いはなかった。義母に関しては――