コラム
【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!!
皇族身分を失い、没落した“宮家”の地獄――悲しき妃殿下の「アアこれで万事休す」告白
2021/01/09 17:00
――良子さまのご実家・久邇宮家も戦後、臣籍降下させられ、巨額の財産税で身ぐるみを剥がれてしまったお家でしたよね。
堀江 そうなんです。昭和天皇が美智子さまとの結婚を肯定して以来、伊都子さまは美智子さまへの批判をやめたとされますが、自分のミッチー批判の奥底に眠る感情が嫉妬であると気づいたからではないかな……。もしくは、そう他人に思われても仕方ないと思ったからかな、などとも考えてしまうのですね。
また、こうした女の嫉妬以上に、ミッチー批判の理由として重大だったのは、日本が戦争に敗れ、かつての身分制もひっくり返ったのは、「神の怒り」ではないかという恐れだったのかもしれません。これについてはまた次回以降、お話ししていきたいと思います。
さて、美貌と知性、そして強気な態度で、世界中の王室にもその存在を知られた梨本宮伊都子さまの足あとをたどってきました。
戦後の伊都子さまの零落ぶりはたしかに悲しいものでした。あれだけ大邸宅に暮らしていたというのに、娘の方子さま曰く「池のほとりの小さな家」で晩年を生活することになっても、自分の幸せを趣味の和歌の世界などに求めつづけ、1976年(昭和51年)に数え年で95歳で亡くなるまでの長い時間を、それなり以上に元気に過ごされました。
そういう伊都子さまを筆者はやはり素敵な方だと思うのです。
――次回からは「女官」をテーマに始まります!
最終更新:2021/01/09 17:00