皇族身分を失い、没落した“宮家”の地獄――悲しき妃殿下の「アアこれで万事休す」告白
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
前回まで――「美しすぎる宮妃」として戦前に人気を博した梨本宮伊都子さん。妃殿下の職務として「看護婦業務」に並々ならぬ情熱であたり、子育てのほうもプリンセスが2人お誕生になられました。そのプリンセス、方子女王は朝鮮王朝へと嫁ぎ、規子女王は結納を交わしたお相手から婚約破棄されるという憂き目に遭ったものの、名家へ嫁がれました。しかし、その後、第二次世界大戦の訪れにより、梨本宮家は崩壊を免れず……。
梨本宮家の没落
堀江宏樹氏(以下、堀江) 第二次世界大戦中(1939-45)の梨本宮伊都子さまは、還暦前後のご年齢ながら、婦人雑誌のグラビアに生活のご様子が取り上げられたり、愛国婦人たちから人気者でした。とくに戦争初期は、東京での生活にさほど大きな影響はなく、充実した日々を過ごしておられたご様子です。梨本宮様も軍人としての活動に邁進されておられました。
しかし……次第に戦局は日本に不利なように傾きはじめ、やがて敗戦の時を迎えることになってしまいました。ここから梨本宮家の地獄がはじまるのです。
――地獄、ですか……。
堀江 東京は空襲が相次ぎ、梨本宮邸はもちろん、各宮家の屋敷(東京の李王家の屋敷を含む)はすべて全焼という惨事に見舞われるのです。戦前にはあれだけ潤っていた梨本宮家ですが、終戦の頃には食べる物にさえ事欠くようになっています。
梨本宮家は富士山ちかくの河口湖畔に別邸があったので、そこに疎開するのですが、なんとその周辺にも空襲警報が多発、強気な伊都子さまもついに「老人になってからこんな目にあふとは」と、嘆き節を日記に書きつけることになりました。
――庶民の625倍の生活費を持っていても、戦争で苦しむことになるんですね……。
堀江 1945年(昭和20年)8月15日、日本は運命の敗戦を迎えますが、昭和天皇による「玉音放送」を聞いた感想を伊都子さまは衝撃的な言葉で日記に記しました。
「アアこれで万事休す。(敗戦に打ちひしがれているだけでは)昔の小さな日本になってしまふ。これから化学を発達させ、より以上の立派な日本になさねばならぬ」というあたりは前向きでよろしいのですが、生命をかけて戦ってきたのに敗北した兵士の方々、その家族の無念を思うと、「どうしてもこのうらみは はらさねばならぬ アアアアーーーー(読みやすいように調節したが、だいたい原文ママ)」。
――なかなかに過激なお言葉ですが、リアルですね。
堀江 こういう率直なところが伊都子さまの魅力であると同時に、彼女の日記全文が活字として刊行されていない理由ではないかな、と思ったりもしますが。
おまけに梨本宮さまは戦後すぐに、GHQから巣鴨勾留所まで出頭命令が出されていますし、ようやく戻ってこられたと思ったら、今度は皇族の身分を失う「臣籍降下」が待っていました。極めつけは巨額の財産税を課されたことですね。だいたい全財産の4分の3くらいの額を現金で納入せねばならなくなるのですが、このために焼け残った河口湖の別邸などの不動産や、蔵を埋め尽くしていた財宝や文物のほとんどすべてを売り払うハメになりました。
戦前、庶民の625倍の豊かさで生きてこられた梨本宮家です。老齢になってから、いわゆる戦後成金に財産を買い叩かれるのは、これまでの人生を否定されるに等しく、屈辱以外の何者でもなく、ついつい日記にも過激な表現が並ぶようになります。
「ここにも敗戦のみぢめさをひしひしとこたへる(1946年/昭和21年7月29日)」
「(買い叩きに来た戦後成金の夫婦の姿を確かめようと)私はそっと窓のところからみていたら、主人は大きい人、妻はやせた小さい人にて(肺病でも出そうな形)(略)あんな人が富士の別荘に入るのかとおもふと(略)いまにバチがあたる(同年7月31日)」。