近藤春菜、ずっと『スッキリ』を辞めたがっていた!? 「ただの置物」と不要論勃発……日テレに3年前から降板申し入れ?
ハリセンボン・近藤春菜が、2016年からレギュラー出演していた『スッキリ』(日本テレビ系)の“卒業”を発表した。今年3月、同じくレギュラーの水卜麻美アナウンサーと共に、番組から去るという。ネット上では今回の発表を受けて、「お疲れさまでした」などと労る声が多く見られるが、実は近藤は『スッキリ』登板直後から、ずっと「辞めたい」と訴え続けていたという。
15年にテリー伊藤が降板し、同年から1年間は、日テレの問題児・上重聡アナが加藤浩次のパートナーを務めていたが、翌16年に“電撃加入”したのが近藤だった。
「当時の近藤は、若手女芸人の中で最も注目度の高い人物でした。吉高由里子ら有名女優が集う“春菜会”は、しょっちゅう週刊誌を賑わせていましたし、バラエティでのコメント力も群を抜いていると話題に。そこで日テレも、三顧の礼で近藤を招き入れた形だったんです」(スポーツ紙記者)
ところが、平日5日間の拘束は、想像以上に近藤のスケジュールをひっ迫させることに。また、ネット上でたびたび「近藤春菜不要論」が噴出したことも、彼女のモチベーションを下げる要因になったようだ。
「近藤は芸能ニュース、特に吉本の先輩芸人の不祥事に関して、加藤のようにバッサリ切り込むことができず、言葉を濁すことも多かった。ネット上では『ただの置物』などと批判されるようになり、出演を始めた翌年には、本人から降板の申し出があったそうです」(日テレ関係者)
それから3年にわたって、近藤と番組の「辞めたい」「もう少し頑張ろう」という応酬が続いたというが、19年に勃発した“闇営業騒動”が、卒業の決定打になったようだ。
「闇営業騒動をめぐって、加藤をはじめ番組自体も吉本の体制を痛烈に批判。しかし、近藤はその流れには乗らなかったんです。加藤にも、吉本にも配慮しなければならない板挟みの状況だっただけに、本人も相当つらかったと思いますよ。そして水面下での話し合いの結果、ようやく昨年末に、番組卒業が決定しました」(同)
近藤は、『スッキリ』卒業の理由を、「いろんなことをさらに外に出て経験していきたい」と語っており、今後はステージでの活動を中心にする意向だと一部で報じられている。しかし、このコロナ禍でのライブはなかなか難しい面もあるだけに、やはり単純に「『スッキリ』から1日でも早く離れたかった」というのが、卒業の真相なのかもしれない。