『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督が尊敬する“怪物”――キム・ギヨンが『下女』で描いた「韓国社会の歪み」
もう一つの不思議な設定は「階段」だ。トンシクには足の不自由な娘がいるにもかかわらず、彼は2階建ての家を建て、娘は今にも転がり落ちそうな様子で階段を使わねばならない。この設定からは、どのような意味を読み解くことができるだろうか。
「階段」は世界のさまざまな映画の中で、たびたび身分の「上昇と転落」の象徴として描かれてきた。キム・ギヨンも「足の不自由な娘」と「階段」という設定を意識的に用意することで、見る側に不安を抱かせ、スクリーンに投影される「近代」と、そこに映る過剰な映画的現実が近代化へのフェティッシュにすぎず、いつ「転落」するかもわからない不安定な欲望であることを際立たせる効果をもたらしていた。
下女は、2階に用意された部屋へと上がり、そこでトンシクを誘惑して妊娠する。しかし、近代的な家庭の妻になるという下女の欲望は、階段からの「転落」を余儀なくされ、それは同時に、韓国が抱いていた近代化への欲望が歪んだイメージにすぎないことを暴き出していた。キム・ギヨンの「女」シリーズで、階段が中心に置かれた家がすべての出来事の舞台になるのには、不安をあおる装置として韓国社会を揺さぶり続ける、作家の強烈な意図があったのである。
劇中で下女は名前を持っていない。身分の上昇を夢見てはそこから転がり落ちていった下女に、誰でもなり得るからだ。映画の公開からちょうど1年後の1961年、朴正煕(パク・チョンヒ)による「5.16軍事クーデター」とともに、韓国社会は「近代化」のための「開発独裁」という階段を上がり始めた。その渦中に無数の「下女」が存在したことは、言うまでもない。本作は、キム・ギヨンが開発独裁後の韓国社会へ送った「警告の手紙」だったのかもしれない。
※『キム・ギヨン傑作選 DVD&ブルーレイボックス』には筆者も作品解説(『下女』『玄海灘は知っている』『高麗葬』)の執筆に加わった。このコラムはブックレットに掲載した『下女』の原稿に大幅に加筆して書き直したものである。
■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。