『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノ監督が尊敬する“怪物”――キム・ギヨンが『下女』で描いた「韓国社会の歪み」
<物語>
妻(チュ・ジュンニョ)や足の不自由な娘、息子(アン・ソンギ)と4人で暮らすピアノ教師のトンシク(キム・ジンギュ)は、新しい家を建てて引っ越しをする。だが、新築のために無理して内職を続けていた妻は体を崩してしまい、トンシクは若い下女(イ・ウンシム)を雇う。そんなある日、妻の留守中に下女はトンシクを誘惑して関係を結び妊娠。しかし、これを知った妻によって中絶させられてしまう。そのショックで徐々に乱暴になっていく下女は、ついに残酷で執拗な復讐に出る……。
下女(家政婦)によって破壊されていく家族の様子を恐怖めいた映像で描いた本作は、公開直後から当時の観客に大変なショックを与えた。映画と現実を混同した一部の観客が、下女を演じた女優のイ・ウンシムへのバッシングを起こし、実際に彼女はその後、映画界から姿を消したほどである。だが本作は、その衝撃の強さや、それゆえに大ヒットしたという話題性以上に、当時の韓国の歪みを映し出している点において、恐ろしくも素晴らしい作品なのだ。
この作品を見る上で、とりわけ2つの不思議な設定に注目してみたい。1つはトンシクの「経済力」。工場で女工たちにピアノを教える安月給のトンシクが、内職をする妻の助けがあったとはいえ、果たして2階建ての家など建てられただろうか、と疑問が残る。しかも彼は、下女まで雇うのだ。朝鮮戦争の爪痕が依然として残っていた当時の韓国経済は、アメリカの援助によって辛うじて保たれており、仕事を求めて田舎から都会へ出てくる女性たちが一気に増えたのもこの頃。映画に登場する女工たちはまさに、そのような女性労働者であった。さらに、李承晩(イ・スンマン)政権の憲法改正と不正選挙によって政治的混乱に陥り、これによって学生を中心とした「4.19革命」が勃発し李政権が倒れるなど、1960年前後は社会的にも劇的な変化が起こっていたことを考えると、トンシクの設定にはやはり解せないものがある。
だが、これが現実を無視した設定ミスでないこともまた確かであり、そこにこそキム・ギヨンの作家性が発揮される。2階建ての一軒家が「近代化」の象徴だとすれば、トンシク夫婦の経済的不安定さは、当時の韓国の経済的不安定さそのものであり、「新築一戸建て」は不安定ながらも「韓国社会」が欲望していた近代化へのフェティッシュとして考えられるからだ。
フェティッシュとは、簡単に言えば「自分が持っていないものを視線の対象に求めること」。作品の中に描かれるベッドやピアノ、絵画や壁時計など、家の中に緻密に配置された「物」たちは、まさに近代化へのフェティッシュが具現化したものにほかならない。こうして一見不思議で過剰に見えるこの設定は、新興独立国・韓国がアメリカから与えられた西欧的な近代への転換と、近代化には程遠い現実との間の不安定さと、その隔たりを埋めるためのフェティッシュを表現している点において、きわめて意図的なものとして読み取ることができるのである。