皇族のプリンセスが「婚約破談」!? 結納したのに結婚式は延期続き……“ワケ有り”宮家のその後
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
前回まで――「美しすぎる宮妃」として戦前に人気を博した梨本宮伊都子さん。大資産家生まれの超お嬢様から皇族入りした伊都子さんを待ち受けていたのは、妃殿下としての仕事でした。最も重要だった任務は「看護婦業務」。専門的に看護医学を学び、戦時中に前線で看護にあたった伊都子さんですが、もうひとつ大切な任務「子育て」も一筋縄ではなかったようで……。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 突然ですが、もし自分に娘がいて、その子が他国の王室に嫁ぐことが決定したら、親としてどのように感じると思いますか?
――びっくりするでしょうけど、名誉なことだとは思います。でも想像すらつかないというのが本音かなぁ。
堀江 しかし、実際にそういう可能性がある人たち……たとえば梨本宮伊都子さまにとって、それは嘆き悲しむべきニュースだったようです。
1916年(大正5年)、波多野敬直(はたの・よしなお)宮内大臣から伊都子さまに突然、「お話がしたいことがあるから、時間を作ってください」という電話があったそうです。用向きは伊都子さまの長女・方子(まさこ)女王(当時16歳)の縁談でした。というか、天皇陛下による結婚命令であったのです。絶対に断れません。
お相手は朝鮮王室の王世子(わんせじゃ)……つまり皇太子に相当する李垠(り・ぎん)殿下でした。宮内大臣は「11歳から殿下は日本で、日本の皇族に準じる存在として暮らしている」というのです。しかし、その実態は、悲しいものでした。日本が朝鮮王朝の御曹司たちを、若いうちに日本文化に同化させるべく、「ほぼ」無理やり日本に連れてきた結果でしたから。
――そういう王室に嫁ぐとなると、たしかに不安を感じてしまうかも。
堀江 そうですよね。しかし、もらえる皇族費の額でいうと、梨本宮家が4万5千円だったのに対し、李王家はその25倍以上の約120万円! 実家の暮らしの25倍以上、金銭的には豪華な生活が期待できました。