1億7700万円をだまし取った「62歳の聖子ちゃん」、山辺節子の男と金と詐欺人生【熊本:つなぎ融資の女王】
言葉巧みに出資を募り、集めた金を若いホストに貢いできた節子は、昭和30年3月3日、「姫御殿」のある益城町に生まれた。父親は市内大手バス会社の運転手、専業主婦だった母親は、材木屋の娘で恵まれた家庭の出だった。一人娘だった節子はその母親に可愛がられ、近所の住人によれば、母親は節子のことを「自分の思ったことしかしない子ども」だと話していたという。
「幼少期は地味な子だったけど、高校に入ってから男関係が派手になった。とっかえひっかえいろんな男と付き合うもんだから、両親が心配して高卒後早く結婚させたんです」(元子を知る地元住民)
節子は中学卒業後に熊本市内の私立女子高に進学した。地元では「お嬢さん学校」として知られる偏差値中程度の高校だ。ところが節子は在学中に男と駆け落ちする「事件」を起こし留年。4年かけて卒業した。
中学時代の同級生が、高校卒業後に通勤バスに乗っていると、制服姿の節子にばったり出くわした。
「普通だったら、バツが悪くて顔を背けると思う。でも、節ちゃんはニコニコしながら近寄ってきて“羨ましい、もう働いているの? 私なんか、まだ卒業できなくて、高校3年生よ!”とあっけらかんと言う。まったく悪びれる様子がないんです。事件の後、ニュースで流れる節ちゃんの動画を見て、あぁ、当時と全く変わってないな、と思いました。無垢な部分があるんです」(同級生)
卒業後の節子は自動車会社に勤める男性と結婚し、長男と長女に恵まれたが、のちに離婚に至る。
「旦那の出張が多くなると、また男遊びが再燃して。それがバレて離婚しとります。別れるちょっと前には熊本市内で水商売を始めている。社長やら大金持ちを何人もつかまえたようで、生活がエラい派手になっていった」(地元住民)
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