『ものまね王座決定戦』のウラ側で“帝王・コロッケ”は今……かつて語っていた「悪意はない」デフォルメの神髄
――外には、コロッケさんがものまねされた方々からのお花がズラッと並んでいました。ご本人をとことんデフォルメさせて悪意ギリギリのラインを突くのに、ご本人からも愛されるって素敵です。そのデフォルメのさじ加減は、どう調整されてますか?
コロッケ あの……悪意はないんですよ(笑)。好きだからこそ見えてくるものってあると思うんです。僕の場合は、その人を見ていると、頭の中で別の生き物に変わっていく。ものまねには、その方が実際にやりそうでやらないことと、「これはやるな」と確信できるものがあるんですけど、僕がものまねをすると「本人はやってないけど、やってるな」という、見ている方も妄想の世界に入ってしまう(笑)。
これね、ご本人を知っている人たちは妄想として見てもらえるからいいんですけど、問題はご本人を知らない世代ですね。ご本人を知る前に僕を見てしまい、実際にご本人を見たときに「あ、(コロッケみたいなこと)やらないんだ」と(笑)。わけのわからないことに。
――時空が歪んでしまう(笑)。それだけものまねの威力はすごいんだと思います。
コロッケ そう、だからね、僕の一番のエンターテインメントは30年、50年たっても、その人を知らない世代がほとんどになっても、それでも楽しめるもの。そして一緒に見に行った人同士で、その夜盛り上がるのではなく、1週間後、1年後、5年後、10年後に「あのときさ、行ったよね?」「あぁ面白かったよね」って話に花を咲かせられるものです。これが僕の究極の落としどころなんですよ。
――一瞬にしてそのときに戻るような。
コロッケ 「誰が出てたっけ?」「私、ポールダンスしか覚えてない!」とか、そういうのもあるじゃないですか(笑)。そこで何を見たか、それがどうだったか、ということより、行ったことでそこが思い出の場所になり、そこから会話が生まれる。それがエンターテインメントじゃないでしょうか。僕のコンサートでは、昔おじいちゃんやおばあちゃんに連れられてきたお孫さんが、大きくなって「今度は私がおばあちゃんを連れてきました」って戻ってきてくれることがすごく多いんです。
――受け継がれるコロッケ魂……。
コロッケ そういう話を聞くと、なんてありがたいんだろうと。もっともっと自分なりにご本人には迷惑をかけながら(笑)、やらせていただければ。若い子たちにもわかるものまねもないといけないので、いま僕のコンサートではオープニングが三代目J Soul Brothers、BIGBANG、EXILE、そこから70年代、80年代……と続いていくメドレー。、ものまねをするためには常にいろいろな世代の音楽を聞かなきゃいけないし、その中でピンとくるものは必ずある。そしてそのものまねが刺さる世代も必ずいる。子どもたちには「ようかい体操第一」とか、『アナと雪の女王』を誰かのモノマネでやるとか、『ジュラシック・パーク』の動き、あとはやっぱりロボットの動きはみんな好きですね。
――ロボットのおもしろさは永遠です。
コロッケ ものまねは1人でコソコソやっているよりは、ここみたいなみんなで芸を共有できる場所でやった方がいい。そこから世界を目指すくらいの気持ちを持っている子がなんでいないんだろうと、僕の中では忸怩たる思いがあります。
――コロッケさんが若いものまね芸人さんを見て思うことはなんですか?
コロッケ う~ん。うまいと思ってる人ほど自分に浸りますよね。あれは見ている方が迷惑でしょ。あなたは、ご本人じゃないんだから。
――なんとなく、2~3人頭に浮かびました(笑)。
コロッケ 今日もステージをちょっと見てて、後で注意しなきゃいけないなって子が何人かいるんですけど(笑)。「お前誰だよ?」って。
――常に客観的であれということですか?
コロッケ だって、ものまねさせて“いただいてる”わけで、そこで浸っちゃダメなんですよ。今日は徳永英明ものまねの子がいましたけど、あの子がただ出ていって徳永英明の歌を自分に浸って歌っても、お客さんは「ん?」なんです。でも演出で「顔は似てないけど、声はそっくりです」と付け加えれば、「おお」と納得して聞ける。
――確かに、「徳永の歌はうまいけど、だから何?」って思っちゃいますね。
コロッケ ものまねで一番怖いのはそれで、見ている人の中で突然「反抗期」が始まるんです。芸人が最も気をつけなきゃいけないのはそれ。お客さんを「反抗期」にさせちゃいけない。僕がいつも言うのは、「相手が一番、自分が二番」という気持ちでやれということです。この店では、出演者だけでなく、スタッフにもそう話しています。自分が一番だと「なんでこれがわからないんだよ」となりますが、相手が一番だと思うと、相手にわかるように説明しようとします。それだけで、会話から何から変わってきますよ。誰かを喜ばせたいという気持ちがなければ、それはもうエンターテインメントではないんです。