「末期がんの父、離婚した息子」娘が見つめた家族の結末――母にとっては「願ってもないこと」と語るワケ
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回は母親と息子の関係について考えている。糸野圭子さん(仮名・53)の話を続けよう。
糸野さんは母親(81)のもとを訪ねることがめっきり減った。というのも、実家には圭子さんと仲の悪い弟(50)が母親と同居しているのだ。学生時代から問題を起こしては親にしりぬぐいをしてもらっていた弟は、離島に移住し家庭を持っていた。が、7年前、父親にがんが見つかった。
(前編はこちら)
父親の介護のため、実家に戻った弟
末期がんと診断された父親は、しばらくは入退院を繰り返しながら生活していたが、「最期は家で過ごしたい」という父親の望みをかなえたいと、母親が在宅で介護をすることにした。
ところが、老いた母親一人では体の大きな父親を介護するのは負担が大きかった。糸野さんもできるだけ実家に通い、介護を手伝うようにはしていたが、子どもたちの受験が重なったりして、なかなか思うようには動けなかった。
実家を離れて20年以上。40代になっていた弟は、これまで心配のかけどおしだった父親の最期を、母親とともに近くで支えようと考えたようだ。家族を残して、弟は単身、実家に戻ってきた。
「弟は家庭を持っても、相変わらず仕事も非正規だったので、こちらに帰ることにそう大きな問題はなかったようです。弟の奥さんは、子どももいるし、向こうの親も見ないといけないというので、弟が一人で実家に戻ったんです。父の状態も悪かったので、介護はそう長期にはならないと思っていたんでしょう」
両親が喜んだのは言うまでもない。母親は弟の助けで力を得たし、父親も宣告された余命より1年以上も長く生きた。
父親の介護を通して、母親と弟の結びつきは否応なしに強くなった。特に母親は、これまで離れて暮らしていた20年を取り戻そうとするように、弟に愛情を注いだだけでなく、依存するようになっていた。