『ザ・ノンフィクション』「うちらに死ねって言うの?」ショーパブキャストの啖呵「禍の中でこの街は ~新宿二丁目 コンチママの苦悩~」
開けても地獄、閉めても地獄の厳しい状況に置かれた白い部屋において、キャストのかんたが吐いた啖呵がかっこよかったので紹介したい。
「私は(感染者が)増えているからってビビってる都とか国が嫌いなの。想定内じゃないもともと。わかっていたことなのにさ。Withコロナって一切言わないでしょ今。Withコロナって言わないじゃん。言えっちゅうのよ」「うちらに死ねっていうの?」「ビビってんじゃねえ、もともと増えるに決まってんじゃん」
かんたの言う通り、感染症なのだから、ワクチンが開発されそれが普及しない限り、社会生活をしていれば感染者は増えるに決まっている。そして、終わりがわからない以上、社会生活をまったくせずに閉じこもっているわけにもいかないのだ。
現状における、新型コロナウイルスの「毒性」がさらに問題をややこしくしているようにも思う。新型コロナは高齢者、基礎疾患のある人にとっては命に関わる重篤な症状になりかねず、当人やそのような状況にある人と共に暮らす人には深刻な問題だが、一方で、該当しない人は、毒性をそれほどの脅威に捉えてない傾向があるように思う。
そうした人々にとっての最大の脅威は、「実際、インフルエンザくらいなんじゃ……」と思っていても、そんなことを言ったら何か言われるのではないかと“勝手に”思って萎縮してしまうことや、もし自分が感染したときに、その感染源が通勤電車ならばともかく、ライブハウスやパチンコ屋、ホストクラブやショーパブということがわかったら、会社や地域社会に居づらくなってしまうのでは……と“ビビって”しまうことだと思う。コロナそのものより、コロナで生じた得体の知れない忖度がまずい。感染者が増えることなどわかっているのに、ビビっていることが、問題なのだと思う。
そしてこういうときに、真っ先に槍玉に挙がるのが「遊興」の分野だ。コンチママと二人三脚でショーを作り上げてきた振り付け担当の女性は、自分たちのショーの仕事を「生きていくために必要なお米ではない」と話していた。2017年の映像で、白い部屋を訪ねた客が「ショーのある国は間違いなく平和です。おかまが生きている街は間違いなく安全です」とうれしそうに話していた。ショーを行えなくなってきて、それに伴い出演している人たちの生活が脅かされている状況とは、それまでより平和でも安全でもない社会、ということでもある。
コロナを防ごうとすることで、明らかに社会に別の問題が浮上している。そしてその答えは一人ひとりがその時々の状況に応じたものを自分で考えていくしかないのだろう。個人的には「Go toの観光地で感染するのはまだギリギリセーフだけど、パチンコ屋やホストクラブやショーパブで感染はアウトだよね」という、“雰囲気”のようなものが存在しているのが、なんだかとても嫌だなと思う。