EXO・D.O.主演『スウィング・キッズ』、“タップダンス”で際立つ暗鬱な現実――「もしも」に込められたメッセージとは
近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『スウィング・キッズ』
韓国では「同族相残(동족상잔、同族間の殺し合い)の悲劇」とも呼ばれる朝鮮戦争。軍の戦闘による犠牲者よりも、軍による民間人への、あるいは民間人同士の虐殺による犠牲者のほうが多いとまでいわれるほど、3年間の戦争中にありとあらゆる形の虐殺が行われた。
転向した左翼数万人を、朝鮮戦争勃発後に虐殺した「国民保導聯盟事件」や、人民軍による高城(コソン)郡や永興(ヨンフン)郡などでの民間人虐殺、そして今回取り上げる『スウィング・キッズ』(2018、Blu-ray&DVD発売中、デジタル配信中)の舞台になっている巨済島(コジェド)捕虜収容所での捕虜同士の殺し合いや、米韓連合軍による捕虜への虐殺は、最も凄惨な悲劇として記録されている。
考えてみれば、虐殺の構図は非常に単純明快だ。自発的か強制的かに関係なく、韓国軍が村を占領すると北朝鮮軍に協力したアカを、北朝鮮軍が村を占領すると韓国軍に協力した反動分子を虐殺したのだ。要するに、同じ村を昨日は韓国軍が、今日は北朝鮮軍が占領するとなれば、村全体が両方によって焦土化され、数多くの村人が犠牲になる。一握りの権力者によって引かれた「アカ」と「反動分子」の境界線によって、朝鮮半島は浅はかで盲目的なイデオロギーに踊らされ、その代価はあまりにも大きかった。
本作は、日本でもリメークされた映画『サニー 永遠の仲間たち』(2011)などで知られるカン・ヒョンチョル監督の作品だ。原作自体がミュージカルというのもあるが、タイトルからもわかるように、スウィング・ジャズとタップダンスが映画の中心に据えられている。ドラマから映画まで幅広く活動し、その演技力も高く評価されている人気アイドルグループ・EXOのメンバーD.O.が主役を演じることも話題を呼び、韓国で観客動員150万人に迫るヒットとなった。
今回のコラムでは、収容所での虐殺の歴史という悲惨な側面が、タップダンスという明るい要素とどのように絡み合い、それがどのような映画的効果をもたらしているかについて考えてみたい。
<物語>
1951年、朝鮮戦争中の巨済島捕虜収容所。新任所長(ロス・ケトル)は収容所のイメージ改善のために、捕虜たちでダンスチームを作る計画を立て、ブロードウェイの舞台に立ったことのあるジャクソン(ジャレッド・グライムス)にその任務を任せる。ジャクソンは、ダンスの才能を持っている捕虜のロ・ギス(D.O.)、英語はもちろん日本語や中国語もできる踊り子ヤン・パンネ(パク・ヘス)、離れ離れになった妻を探すために有名になりたいカン・ビョンサム(オ・ジョンセ)、ダンスの実力はあるが栄養失調ですぐ息の切れる中国軍捕虜のシャオパン(キム・ミノ)の4人を集めて、タップダンスチーム「スウィング・キッズ」を結成する。
ところが、この計画を良く思わない米軍兵士たちの罠にかかり、ジャクソンは刑務所に入れられてしまう。チームのメンバーたちはジャクソンを助けるため、収容所の視察に訪れた赤十字の訪問団の前で踊りを披露し、大きな反響を得る。さらに、所長は記者たちに「クリスマスにこのチームがダンスを披露する」と公言。ジャクソンも釈放され、「スウィング・キッズ」はタップダンスの練習を再開する。一方、新しく収監された捕虜のグァングク(イ・デビッド)の煽動と、「人民の英雄」でロ・ギスの兄であるギジン(キム・ドンゴン)の登場とともに、捕虜たちの暴動はますますエスカレート。ついに彼らは所長暗殺もたくらみ、ロ・ギスも巻き込まれていくことになる。