性犯罪者・DV加害者は「排除すればいい」のか? 「孤立が再犯率を上げる」現場の専門家が訴えること
――具体的に、どのような方法で更生プログラムを行っているのか教えてください。
栗原 私たちは「選択理論」を用いて、加害者更生プログラムを実施しています。端的に説明すると、「すべての行動は自らの選択である」と考える心理学です。アメリカの女子刑務所でも更生プログラムとして実施されており、3年間これを学ぶと、再犯率がゼロになると聞いています。男性の犯罪者も同様に、再犯率56%だったのが、選択理論を学ぶと再犯率2.9%になる、という統計もあるようです。
DV加害者と向き合うときに徹底しているのは、「DV加害者を見下げない」ということ。「彼らの中にある“認知の歪み”だけが問題であり、本来持つ人格や生き方は素晴らしい」と、尊敬の念を持って接します。こうするだけで、彼らは「信頼されている」と思い、プログラムも全過程通えるんです。スタッフは女性が多いので、「女からバカにされた」と思った瞬間、通わなくなってしまいますからね。
プログラムに通う人の中には、「来るのが楽しい」と話す人もいます。「こんな話を他人にしたら嫌われるだろうし、仕事だってなくなる。だから話せる場所はどこにもないけれど、ここでだけは話せる」と言うんです。
斉藤 誰かに正直に話せる場所は必要ですね。依存症の世界には、“自助グループ”というものがあります。性依存症にも専門のグループがあり、当事者が集まって自分の正直な話を打ち明け、参加者同士で「今日1日、問題行動をしなかった」と体験談を分かち合い、支え合っていくのです。
一方で、榎本クリニックの場合、犯罪傾向が進んでいて、刑務所に10回以上入っていたり、まったく身寄りがなく、刑務所に入ることをなんとも思わなかったりして、再犯率が特に高い人たちも来院することがあります。こうしたハイリスクな人に対しては、認知の歪みを直していく「認知行動療法」と並行して、「薬物療法」などを実施することもあります。
警察は「悪党」と決めつけ、刑務所では「男らしくない」と言われる
――「自助グループ」では、同じ経験をした加害者同士で傷のなめ合いのようになってしまったり、“武勇伝自慢”になることはないのでしょうか?
栗原 それはないですね。うちの場合、人の話を聞いたら聞きっぱなしではなく、ほかの参加者やスタッフが第三者的なアドバイスを出し合っています。以前、DVから逃げた妻に対してストーカー行為をするようになった夫がいました。警察に行けば、自分は「悪党」呼ばわりだし、探偵も彼がDV加害者だとわかると、調査の依頼を受けてくれない。追い詰められた彼は、「妻と子どもを殺し、自分も死ぬ」と言ってヤクザに殺人依頼をし、数百万円の契約をしたそうです。この時点で、うちのプログラムに来たんです。
そのとき彼は大泣きしながら、自身の両親から虐待を受けていた過去を私の前で語り、「条件抜きで、これだけ受け止めてくれる人は初めてです。みんなに否定され続けてきたから」と言っていました。社会には、彼らを受け止めてくれる場所がなく、誰も話を聞いてくれない。排除は問題解決に結びつかないのです。
斉藤 彼らは排除されればされるほど、孤立化すればするほど、再犯リスクが高まります。私は、刑務所内で行われる再犯防止教育にも講師として参加していますが、性犯罪加害者は、“刑務所のヒエラルキー”の中でも最底辺。その理由は、「性犯罪は一番男らしくなく女々しい」からです。さらに、性犯罪者の中にも実は隠れたヒエラルキーがあって、「痴漢」と「盗撮」が頂点にいて、最下層は「ペドフィリア(小児性犯罪者)」。受刑者同士でも、こうした排除の構造を如実に感じています。
長年、加害者臨床に携わっていると、世間から「社会の中に、性犯罪者たちの居場所を作るなんて!」と批判を浴びがちですが、排除するだけでは問題解決にはならず、被害者は量産されるばかりです。必要なのは刑罰だけでなく、再教育するための専門治療であると考えています。
一方、自助グループで人の温かさやつながり、いい仲間意識によって安心感を得るだけでは客観的視点やエビデンスが抜けてしまうので、足りない部分をクリニックで補完する、というイメージです。私は「衝動性」と「言語化」は対極にあると思っています。自分の感情や考えをきちんと言語化することで、衝動性を抑えられます。だから、社会の中につながりの再構築ができる居場所を作り、互いに体験談を分かち合う場所が存在することは、非常に重要だと思っています。