『ザ・ノンフィクション』難病に見えない難病の人たちの苦悩「それでも僕は生きていく ~ももちゃんとの約束~」
体の健康が損なわれると心も滅入ってしまいがちだが、今回の番組に出てきた難病の人たちを見て「本人の健康状態」と「その人のバイタリティ」は必ずしも関係しないのでは、とも思った。逆に、難病であることがその人に「負けない」「やってやる」と火をつけ、奮起させている面もあるのかもしれない。
一方、彼彼女らが難病患者であることは変わらないし、「自分の困難さをわかってもらいにくい」という希少難病ゆえの苦悩も抱えている。そんな香取や近藤がカバンにつけていたのが「ヘルプマーク」だ。赤地に白十字とハートマークのついたもので、「外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマーク」(東京都ホームページより)とあり、東京都発案のものだが、今では多くの自治体で採用されている。街でこのマークをつけている人を見かけたら配慮を心掛けようと思う。
香取の活動が続いていくために必要なこと
番組内でとても印象的だったのは、電動車いすで生活していた人が、足こぎ式車いす、コギーを自分の脚で動かしているときの笑顔だ。自分の脚を動かすことができる気持ちよさなのか、自力で車いすを動かせることの気持ちよさなのか、とても良い笑顔だった。
さまざまなことを知れた回だったが、これは香取がNPOを通じ、多くの難病患者とつながってきた活動によるものだ。希少難病の患者たちは、病の苦しみだけでなく、「わかってもらえない、わかってもらいにくい」という苦しみも抱えている。これらの人たちにとって、同じ境遇の人たちとつながることの価値はとても大きいものなのだろう。
ただ2点、気になったことがある。一つはももちゃんへの香取の思いだ。番組を見る限り、ももちゃんはそれまで紹介されてきた「ぱっと見難病に見えない人たち」とは異なり、車いすの生活で1日に何度もてんかん発作があるといい、言葉を話すことも難しいように見えた。そのため、「コギーに乗りたい」というのはももちゃんの意志でなく、香取側だけの思いであるように見えてしまった。香取はももちゃんを「みんなの希望」とも話していたが、他人の思いから「シンボル」にされるというのも、ももちゃんにしてみたらどうなのだろうかと引っかかった。
もう一点気がかりなのが、妻も苦悩している香取の経営センスだ。経営コンサルタントや近藤が香取の事業に対し、かなり辛辣な評価をしているにもかかわらず、香取は次々と新規事業を始めてしまう。どれだけアドバイスしても香取がさっぱり懲りないので、「もう少しこっちの話も聞いてくれ」と言う側も相当な不満を持っているのではと思った。
貴重な活動は、続けてこそ意味あるものだろう。譲れない大義があるとは思うが、妻をはじめ周囲の声にもぜひ耳を傾けてみてはと思う。
次週のザ・ノンフィクションは「歌舞伎町 便利屋物語 ~人生を変えた この街で~」。歌舞伎町で年中無休で働く便利屋「親孝行」の由藤神一。歌舞伎町を第二の故郷と思い、時に自宅に帰れないほど身を粉にして働いている。その歌舞伎町に新型コロナウイルスの嵐が吹き荒れる。渦中の由藤や歌舞伎町の暮らしを見つめる。