「母親と一緒にいるのが子の幸せ」? 障害のある娘を介護する親、「子どもと離れられない」と語る言葉の先
「『ヨロヨロ』と生き、『ドタリ』と倒れ、誰かの世話になって生き続ける」(光文社『百まで生きる覚悟』春日キスヨ)――そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
井波千明さん(仮名・55)には、障害のある娘、圭さん(仮名・22)がいる。
障害がある子どもを持つまでは、人生の崖っぷちから落ちるようなものだと考えていたが、生まれてみると「今まで知らなかった幸せをたくさん知って、豊かになった」と、幸福感が増したという。
井波さんは、圭さんが特別支援学校を卒業するころから、圭さんを社会に託し、親がいなくても生きていけるような施設を探すことを考えていた。自分たち親が老いて、圭さんの世話ができなくなったときに、圭さんの姉である長女に心配をかけたくなかったのだ。
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大で圭さんが通っていた作業所が休みになり、圭さんと二人で過ごす時間が増えると、圭さんと離れられなくなっていることに気がついた。これから先、一緒にいればいるほど離れられなくなりそうで、いっそ、自分たちが老いたときに圭さんと一緒に入れる終の棲家を探そうかと考えるまでになった。
(前編はこちら:義父母の介護と障害のある娘、新型コロナが変えた“距離”)
離れられないのは老親の方
そんな葛藤を、井波さんは学生時代の友人とのオンライン飲み会で吐露した。すると、その中の一人がこんな経験を語ったのだという。
「友人の義父母は、私のように障害のある息子を介護していました。友人の夫の弟で、その義弟は成人後、病気が原因で障害が残っています。義父母が70代になったころ、義弟と共倒れになることを心配した友人夫婦が、義弟を施設に入れることを提案し、義父母とも話し合って、納得してもらったうえで施設にお願いすることにしたそうです。ところが、ようやく見つかった施設が実家から遠く離れた山奥で、重度の障害のある入居者が多かったこともあり、そんなところで一生を終えることになる息子を不憫に思った義母が、入居して1年もたたないうちに実家に呼び戻してしまったんだそうです」
施設退去時に迎えに行った友人夫婦が見たのは、入居していた数カ月の間に親しくなった、ほかの入居者や職員と泣いて別れを惜しむ義弟の姿だった。
「施設の職員さんは、そんな姿を見て『お母さんが離れられないと、難しいですね』と言ったそうです。友人の義弟は20代で障害を負ったので、義母は息子がかわいそうだという気持ちがより強くなったのではないか、と友人は言っていましたが、圭と離れられなくなっている自分のことを言われているようで身につまされました」
親子が離れたほうがよいと客観的に考えられる段階で離れることができないと、最終的に親が老いて、親子とも身動きが取れないところまで行ってしまう。そして、残った兄弟姉妹に負担をかけることになる。筆者も、親子それぞれの施設探しに奔走する兄弟姉妹を何組か見てきた。幸い、井波さんの友人の場合は、その後、実家から近いところに施設が見つかった。義父母は80代になっており、もうこれ以上自宅での介護は無理なことを義母も認識していたようで、義弟を施設に入れることをすんなり承知したという。
ところが井波さんの住む市には障害者施設が少なく、あったとしても友人の義弟が最初に入ったところのような、へんぴな場所にしかない。障害者施設に入るのは、高齢者が特別養護老人ホームを探すよりも難しいのだという。