甲子園中止、今だから言える“チアリーダー”のホンネ……「男子の応援」に駆り出される女子が抱える、密かな葛藤
今は私の現役時代よりも、さらにネットが発達した。また、2000年代から「競技としてのチア」が知られるようになり、「応援」より「競技」としてのチアを志す子も増えているという。一方で、ネット上で「チア 甲子園」と検索すると「美女チアガール」という言葉がいくつも見られ、「チア」が性的消費コンテンツとして扱われる側面があることは否めない。
今も世間的には、「チア」というと競技よりも応援のイメージが強く、「女子っぽい雰囲気」が強いとすれば、少なくとも「競技チアに携わった経験のある人たち」と、「チアについてよく知らない人たち」の間には、認識に大きな乖離があるのだろう。そして、どれだけ「アクロバットを駆使したすごい技」を決めようが、大会で優勝しようが、「女子」「チアガール」という目線で見ている人の誤解や偏見を払拭するのは、簡単ではない。
簡単ではないが、しかし、誤解や偏見に対して、「相手にしない」「スルーする」という手段も得策ではない、と今なら思う。誤解や偏見を持つ側は、「相手にしてこない」「何も言わない」という態度を、「言い返せないということは、やっぱりチアはチャラいんだ」「誰も文句を言わないから、性的に消費されても嫌がっているわけじゃない」と都合よく捉えられる可能性だってある。
もし、できることがあるとすれば、身近なところから誤解や偏見を解いていくことだろう。もしチアについて「女子っぽい」「チャラそう」と印象を語られたり、「モテたくてやってるんでしょ?」「男にチヤホヤされたいの?」と聞かれて嫌な気分になったら、「いや、違う」と言葉で説明するのだ。華やかそうに見えるが、実際は地道な練習を重ねなければ良い演技はできないこと、練習中はケガをするリスクもあり、ふざけてなどいられないこと、私たちは自分のためにチアをやっているということを。
高校時代、チアリーディング部に入ったことを友達や親戚を話すと、「応援するんでしょ? なんか楽しそうでいいな」「ミニスカ穿くんでしょ? 男子にモテるんじゃない」といった反応が返ってくることもあった。しかし、私が連日ハードな練習を行っていることを知っていくうちに、「大変なんだね」「かっこいいね」と見方が変わった人も確かにいた。
どれだけ言葉を尽くしたところで「チアガール」と呼んで侮蔑する人がすぐにいなくなるわけではないが、チアに関わったことのある私たちが、チアとはどんな競技であるのかを伝え続けていくことに意味があると思う。甲子園が開催されない今年の夏は、一度立ち止まってこれまでの「当たり前」を考えるいいチャンスではないだろうか。
(冷田夏子)