甲子園中止、今だから言える“チアリーダー”のホンネ……「男子の応援」に駆り出される女子が抱える、密かな葛藤
新型コロナウイルス感染拡大のため、今年は「全国高等学校野球選手権大会」が中止に。球児たちから悲しみの声が上がる一方で、応援席から彼らに声援を送る人たちは、いま何を思うのだろうか。チアリーダーとして活動した経験のある冷田夏子さんに寄稿していただいた。
今年は新型コロナウイルスの影響で中止になってしまったが、毎年この時期は「全国高等学校野球選手権大会」、いわゆる「夏の甲子園」の真っ最中だ。甲子園出場ともなれば、学校側の「応援」にも俄然気合が入る。
率先して「応援」することを期待される存在といえば、応援歌でスタンドを盛り上げる吹奏楽部、そしてチアリーダーたちだ。「チアガール」と呼ばれたりもする。甲子園の主役は言うまでもなく高校球児の男子たちだが、インターネット上にはなぜか「甲子園チアガール特集」「美人チアリーダーまとめ」として、毎年、“応援する女子”の写真や動画が多数アップされ、消費されている。
「女子だけ」が当たり前になっているスポーツ・チアリーディング
私も高校・大学時代に「チアリーダー」を経験した。ただし、私が所属していたのは「チアリーディング」という競技がメインの部活動。チアリーディングはスタンツと呼ばれる組体操をはじめ、モーションやダンス、タンブリング、ジャンプなど、オールマイティーな技術が求められる、ハードなスポーツだ。筋トレもするし、練習は厳しい。一方で、野球部、サッカー部、ラグビー部などの大会があれば、「応援」に駆り出された。
高校、大学とも共学でありながら、私が所属したチアリーディング部は、どちらも部員は女子のみ。そもそも、チアリーディングの競技人口は女子が圧倒的に多く、大多数のチームが女子のみで編成されている。しかし、チアリーディングは女性限定のスポーツではなく、男女混成でチアリーディング競技を行う大学や社会人チームもかなり前から存在している。2010年に刊行された朝井リョウの小説『チア男子!』(集英社)は、早稲田大学の男子チアリーディングチームをモデルに書かれた作品だ。とはいえ、「チア男子」というタイトルが成り立つこと自体、チアリーディングは女子のスポーツであり、男子は異質な存在であることを具現化しているようにも思う。
現役時代、男女混成の社会人チームと合同練習をしたことがある。男子によるスタンツは安定力が凄まじく、男子がいることでよりダイナミックな演技ができるのだと感じた。大会でも、男女混成チームの演技にはいつも圧倒されていた。一方で、自分自身が所属する部では「女子だけ」であることを当たり前に受け止め、男子部員の加入を現実的に検討したことは一度もない。なぜか「男女混合でやりたいなら、社会人になってから入ればいい」という考えがあったように思う。
「チアといえば、ミニスカートの女子」という世間のイメージ
少女たちは、なぜ「チアをやりたい」と思うのか。そこにどんな欲求があるのかは、きっと人それぞれだ。ユニフォームも含め、見た目の「華やかさ」や、「これをやっているとチヤホヤされそう」という予感、あるいは「女子っぽい感じ」に惹かれて、またあるいは「野球やサッカーの応援がしたい」「モテたい」からチアを始める子もいるだろう。逆に、アクロバットなスタンツやキレのあるダンスに惹かれ「やりたい」と思ったけれど、ユニフォームのミニスカートに抵抗を覚え、躊躇した子もいるかもしれない。
私が所属していたのは、大会上位を狙い、チアリーディングという競技に熱心に取り組む“ザ・体育会系部活動”の世界だったため、入部動機として「チヤホヤされたい」「女子っぽい感じに惹かれた」と大っぴらに話す子はいなかった。そのような入部動機は、顧問やコーチ、先輩たちからまず歓迎されないし、さらに10代の頃は、自分に「チヤホヤされたい」欲求があると直面化すること自体しんどかったりもする。もし、「どうしてチアを始めたの?」と人に聞かれたら、「楽しそうだったから」「先輩がかっこよかったから」などと無難に答えればよく、これらの答えも決して嘘ではないだろう。
このように、私たちの間では、始める動機からして「チア」には明確な区別があり、目指す方向も違う。しかし、野球やサッカーの試合会場でポンポンを振って声援を送る「チア」であれ、スタンツなどでアクロバットな技を決める「チア」であれ、多くの場合、女子のユニフォームとして取り入れられているのは「ミニスカート」だ。老若男女問わず、「チアといえば、ミニスカートの女子」というイメージが先行している人もいるだろう。
00年代から10年代にかけて、チアリーディングという“競技”が広く知られるようになった。しかし、甲子園を含む大会の場では、チアリーダーに「女子が男子を元気づける」役割のようなものを期待され、性的に消費されたりもする。「ミニスカート」が当たり前になっているのは、果たして動きやすさなのか、それとも“役割上”そうするのが適切だと思われているのか。これはどちらも正解だと思う。