古株の女官、妃殿下を「絶対に許してはならない」と徹底マーク! ご成婚日に早くも“カウンターパンチ”が炸裂!?【日本のアウト皇室史】
――へー! そこは老いた女官の担当なんですね(笑)
堀江 はい。こういうことは、だいたい戦前くらいまでの宮中に続いていた伝統だと聞いています。ちなみに昭和天皇にはある時期から、お一人でお風呂に入っておられたという記録があります。これは宮中の伝統の中では、かなり革新的なことでした。ただし、昭和天皇がお使いになった直後の浴室は、あちこちが泡だらけのまま。スポンジも床に転がっていたりで、入浴には四苦八苦なさっていたようです(『天皇陛下の私生活:1945年の昭和天皇』)。ある時期までは女官がすべてやっていたからでしょうか。皇后さまのお話はよくわかりませんが……。
ですから、高貴な宮妃が、自分の体であっても「下」の部分に手をつけることを、女官としては絶対に許してはならないと感じ、足袋や履物を自分で履くことを強く制止したのでしょう。彼女たちには当然のルールですから。ただ、「新参者」である勢津子妃は面食らったでしょう……。
自分がおかしてしまった「失敗」の数々に押しつぶされそうになったとき、勢津子妃の心の支えになったのが、彼女に秩父宮妃となってほしいと強く願われた大正天皇の皇后・節子さまから贈られたボンボニエールだったそうです。勢津子妃の自伝『銀のボンボニエール』のタイトルにもなっていますね。
―――すみません、そもそもボンボニエールとは何ですか?
堀江 もともとは「キャンデーボックス」という意味のフランス語です。日本でボンボニエールというと、やはり皇室の慶事の際に関係者に配られる引き出物としてのイメージが大きいかもしれません。明治の末ごろからの伝統です。
『銀のボンボニエール』のヒットで、ボンボニエール(Bonbonnière)という一般人には馴染みの薄いフランス語も一気に有名になった気がします。少なくとも「●●画報」的なマダム向け雑誌の年季の入った読者なら、ほぼ誰でも知っている気がします。
ピカピカに磨きぬかれた収蔵品ではなく、個人蔵の古いボンボニエールの実物を目の前で拝見したことがあるのですが、ちょっとくすんだ銀色になっているのに伝統の重みを感じました。
――次回は、妃殿下の「初夜」が明らかに!?