女官が妃殿下に“激痛”の制裁!? スパルタすぎる“お妃教育”、知られざる実態【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「天皇」のエピソードを教えてもらいます!
――2020年はコロナ一色のまま、半年以上がたちました。昨年は改元という大きな節目があり、お祝いムードに湧いていたのに……。
堀江宏樹(以下、堀江) 新帝陛下が即位されてから1年と少しが経過しましたね。しかし、昔なら再改元の必要性が議論されはじめてもよいくらい、世間の空気は暗いですね。皇室の方々も、どうやって落ち込んでいる国民とかかわったらよいのかを、模索しているご様子。
――良い変化といえば、皇太子妃時代には心身の不調を訴えられ、あまり活動的ではなかった雅子さまも、最近はお元気そうに見えることでしょうか。
堀江 そうですね。思えば平成16(2004)年には、新帝陛下(当時・皇太子殿下)による、「人格否定発言」がありました。
「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」というご発言です。その意図を背景からまとめると、「妃殿下にはとにかく“お世継ぎ”を期待したいから、その妨げになるかもしれない海外での公務は控えてください」と宮内庁から言われてしまっていたのが不快だ……ということではないか、と。
男女は平等であり、性別・立場にとらわれず、その人らしく生きられることは広く認められるべき……というのは、一般社会ではもはや「普通」のことです。しかし、皇族としては、やはり男女の役割には大きな違いがあり、とくに女性に求められるべき役割、そしてその重圧は、一般社会の比ではないくらいに大変なものであろうことが、この「人格否定発言」からは推察されるのでした。
―――世間でも議論が起こりましたよね。平成の世でも、雅子さまの身にそういうことがあったわけですから、昔の妃殿下はもっと大変だったのでしょうか?
堀江 そうですねぇ。平成3年には、昭和天皇の弟君・秩父宮雍仁(ちちぶのみや・やすひと)親王の妃であられた「勢津子さま」という方の回想録『銀のボンボニエール』(主婦の友社、秩父宮勢津子)が刊行され、ベストセラーになりました。読み物として大変面白いのですが、宮中に嫁いできた勢津子さまに対する女官たちや、宮中関係者の冷淡さが印象に残りました。
私論ですが、とくに結婚当初、女官たちから妃殿下が事あるごとに「いじめられる」ことによって、妃殿下に宮中のシステムが効率的に叩き込まれるようになっているのかな、とさえ考えてしまったほど。妃殿下も、そういうプレッシャーを跳ね返せる場合に限って、はじめて一人前になれるというハードな世界だったのかもしれない……とか。かつて雅子さまが苦しまれた宮内庁との軋轢の問題も、なんとなくですが根っこは同じような気にもなるのです。
―――現代は昔ながらのスパルタ女官こそいませんが、宮中の“圧”から解放されるわけもなく……。そもそも、妃殿下という上の立場の方に仕えているはずの女官が、どうして「主人」をいじめちゃうのですか?
堀江 女官は妃殿下より、宮中生活の先輩ですから。そして宮中は完全なタテ社会です。
宮中では一般社会とは異なる、独特の生活ルールが生活の中心となっています。ですから、それを熟知し、しきたりを守り、当然のようにそれで生きられていなければ、一人前の皇族とは呼べないのです。女官も好きでいじめるのではないとは思いますよ。でも、なかなか傍目には厳しすぎるのでは、と思うところが、『銀のボンボニエール』にもちらほらと出てくるわけです。