『ザ・ノンフィクション』家族団結を説く父、コロナ感染で改心「お父さんと13人の子ども 後編~新型コロナと大家族~」
淳一郎の考えが変わり、晴れて選択肢が広がったと思われる三男だが、前編では宇宙の本を読んでおり、そちら方面に進みたいのかと思いきや、後編ではAIとかデータサイエンティストに興味があると話しており、なんだかフワフワ、フラフラしていた。
しかし三男はそれまで淳一郎が敷いたレールの上をただ走れと言われ、ほかの選択肢を思い描くことを自ら禁じていたのかもしれないし、そもそも青年期は「フワフワ、フラフラしたいならそうする自由」もあると思う。
一方の淳一郎は青年期の年頃にはもう複数の子の父親だったため「独身者の気ままなフラフラ、フワフワする青年期」とは無縁だったはずだ。それゆえ、淳一郎にとっては「フワフワ、フラフラ」がただの「怠慢」に見えてしまったのかもしれない。確かに「フワフワ、フラフラ」は怠慢な側面も実際あり、度を超えれば問題だが、そののんびりした時間は案外それから先の人生で役に立ったりもする。すぐ役に立ちそうなことばかりが全てではない。
テレビに登場する大家族を見ていると、淳一郎もそうだが、親は思春期のさなかに早々と「親」になる。そのため、父親、母親となった彼・彼女らは、その後の「青年期」を知らないまま大人になっていったのだが、「青年期」を経て大人になる、という大人へのルートも普通にあるのだ。家族経営の飲食業という仕事柄、あまりのんびりできなかったであろう澤井家の子どもたちが、これからは青年期をゆっくり満喫していってほしいと願う。
来週は『ザ・ノンフィクション 父と息子とはぐれた心 ~引きこもった僕の1年~』。「やりたいことが何もない」と部屋にこもりゲームばかりしている24歳の息子と「やりたいことを見つけろ」と諭す父。息子の自立支援施設での生活を追う。「フワフワ、フラフラ」は度を超すとこうなる危険性も、確かにある。