韓国映画『1987』、大学生の「死」が生んだ市民100万人の“権力”への怒り――歴史的「6月抗争」の背景とは
最後にもう一点、1987年をめぐる歴史について注釈を加えておきたい。映画の最後、ヨニが目にする壮大なデモの光景は「6月抗争」の始まりを告げる出来事なのだが、そこで叫ばれていた「護憲撤廃」についてだ(ちなみにこの場面に響くシュプレヒコールを先導する女性の声は、監督の妻で、韓国を代表する女優ムン・ソリの声である)。
87年は、チョン・ドファンの大統領としての任期が終了し、年末には大統領選を控えた年だった。その際に大きな論点となったのが、大統領選の制度である。もともと韓国の大統領選は、国民による直接選挙だったのだが、パク・チョンヒが改憲を強行、自らの追従者で固めた組織から大統領を選ぶという間接選挙に変えた上、任期の制限もなくしたために、憲法上は死ぬまで大統領を続けられる仕組みになってしまった。これが悪名高い「維新憲法」である。
維新憲法に対する国民からの猛反発を知っているチョン・ドファンは、憲法に手を加え「1期のみ7年間」と任期を変更せざるを得なかったものの、間接選挙そのものは変えず、自らの後継者であるノ・テウに大統領を継がせようとしていた。だが民主化勢力にとっては間接選挙そのものが問題であり、それが続く限り独裁は断ち切れないとして、「憲法」を「守る」のではなく、「直接選挙」に「変える」ことを望んだのだった。
「6月抗争」の末、政府はついに、大統領直接選挙への改憲を含む要求を受け入れ、「6.29宣言」を発表した。韓国が国民の力で民主主義を勝ち取った瞬間である。だが、その後に行われた大統領選挙の結果は、残念極まりないものだった。与党側の候補者ノ・テウに対して、野党側は統一候補を立てることに失敗、キム・デジュンとキム・ヨンサムが2人とも立候補したことで票が割れ、結果ノ・テウが当選するという、チョン・ドファンが望んだ形になってしまったのだ。中途半端な形で実現された民主化をさらに推し進めるため、学生をはじめとする民衆は、その後もしばらく闘い続けることになる。
それでも民主化の道へと突き進んできて30年以上がたった。進歩と保守の対立で極端な二分化の様相を度々露呈してしまう韓国では近年、「87年体制」の原点に戻り、みんなで闘った記憶を呼び戻し、見つめ直そうとする動きもある。本作もそのひとつとい えるだろう。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。