韓国映画『1987』、大学生の「死」が生んだ市民100万人の“権力”への怒り――歴史的「6月抗争」の背景とは
本作および実際の「6月抗争」は、パク・ジョンチョルという一人の大学生の死から幕を開けるのだが、彼こそがまさに当時積極的に学生運動に参加していた人物であった。パクは85年、ソウルでのアメリカ文化院占拠によって逮捕されて以来、警察から「悪質なアカ」として監視されており、農活や工活も積極的に行ったために1年近く刑務所に収監されて釈放された直後に、同じく当局から目をつけられていた先輩をかくまった疑いで逮捕・拷問されたのだった(彼が黙秘を貫いてかばったその先輩が、後に転向して保守派の政治家を目指した人物であることは、なんとも悲しい現実である)。
このように87年に起こった民主化への大きなうねりは突然起こったのではなく、80年代に盛んだった学生運動の帰結として捉えるべきものである。
「6月抗争」は、パク・ジョンチョルとイ・ハニョルという2人の大学生の死なくしては起こり得なかった。わずか半年の間に、2人の学生を死なせてしまったという事実が、それまで民主化運動に興味を示さなかった人々を駆り立てた。また映画の最後にデモに加わるヨニのように、ハニョルの死がノンポリ学生たちを立ち上がらせるきっかけともなった。とりわけ印象的なのは、催涙弾を撃たれた直後のハニョルを捉えた写真である。エンドロールに登場する実際の写真を見ると、映画での再現性の高さにも驚かされるが、ロイター通信の韓国人記者によって撮られたこの写真は、国内外のメディアで報道され、「6月抗争」の象徴となった。
高校までを光州で過ごしたハニョルは、中学2年の時に起きた光州事件の惨劇を目の当たりにし、大学進学後は学生運動に身を投じるようになったという。劇中、ヨニが誘われたサークル説明会で光州事件の映像が密かに上映されたように、当時の大学生たちは、違法に入手した光州の映像を新入生たちに見せて“教育”し、事件の真相究明を求めていたが、光州出身であれば、その思いは人一倍強かったことだろう。エンドロールに映し出されたおびただしい抗議の声を上げる人々の光景は、ソウルだけでも100万人以上が参加したというハニョルの“国民民主葬”である。