GHQも呆れるニセ天皇の嘘八百! それでも野望を捨てぬ熊沢天皇に最強のブレーン現る!?【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「天皇」のエピソードを教えてもらいます!
――前回までは、内大臣府には相手にされなかったニセ天皇こと「熊沢天皇」が、アメリカの雑誌で大々的に取り上げられ風向きが変わってきた、というお話をしていただきました。しかし、GHQが熊沢天皇の「我こそ真の天皇」という主張を本気にしたというのは驚いてしまいますよね……。
堀江宏樹(以下、堀江) まぁ、信じたかどうかはわかりません。GHQは天皇制の廃止をも画策していましたから、熊沢天皇をなんらかのカタチで使えると踏んだだけかもしれません。
しかし、熊沢の嘆願を無視していたGHQが、がぜん興味を示しだしたのは事実です。ただ、GHQは合理主義でした。GHQの使者は「あなたが南朝の正統後継者であることを示す文物はないのか?」という、熊沢にとってはイタいところを突いたといいます。しかし、熊沢はまったく焦りませんでした。使者に対面する際、熊沢に同席していた親戚(=熊沢の妹の夫が嫁ぎ先)の浅井作左衛門の証言があります。
浅井の証言によると、福島の“ある寺”に“南朝の御神宝”を全部保管してあったが、彼の祖父の代に寺の坊さんに裏切られ、外部の者がお宝を(“キリストの遺書”などを保管していた、と主張したことでオカルト関係で有名な)水戸の竹内家に持っていってしまった……などといったことを熊沢がスラスラ答えていたそうなんですよ。
――なめらかなトークはともかく、ものすごく苦しい言い訳ですよね(笑)。
堀江 今、寺の名前はど忘れしたけど、調べればわかる! とも言っていたそうです(笑)。
熊沢寛道は寺に入っていた時期があったのだとか。つまり僧侶として活動していた過去もあったようで。この時に鍛えられたのが、誰に対しても臆することなく、堂々としゃべれるトーク力だったようですね。しかし「熊沢信者」相手ならともかく、これではあまりに内容が薄い。聞く人が聞けば、ウソを言っているのはバレバレでした。GHQは早々と熊沢天皇に興味を失います。
さて、1946年(昭和21年)から1954年(昭和29年)にかけて、昭和天皇は全国津々浦々を巡幸、敗戦にうちひしがれた人々を励まして回るという前代未聞の大旅行を決行しています。この時の民衆の姿を見て、いかに天皇が日本の人々から必要とされているかを痛感したGHQは、天皇制廃止も、天皇家の交代もあってはならないことだとして、熊沢家の主張を退けるに至ったのでした。
敗戦によって天皇の権威は地に落ちたように思われました。しかしまるで不死鳥のように、自らの行動によって天皇のカリスマは復活していったのです。