聴覚・知的障害を持つ子どもたちへの性暴力を描いた韓国映画『トガニ』、社会と法律を変えた作品の強さ
とりわけ裁判の鍵となった「示談」(前述したように、映画では学校側が生徒の保護者の弱みに付け込んで示談に持ち込む様子が描かれる)とは関係なく処罰できるようにしたり、性犯罪の時効をなくして無期懲役も可能にするなど、以前に比べて被害者保護が強化されたこの法律は、本作のタイトルにちなんで「トガニ法」と呼ばれている。(「トガニ(도가니)」とは“るつぼ”を意味し、閉鎖空間に閉じ込められた状況を象徴する表現として使われる。外部との接点を持たない子どもたちが学校に閉じ込められていた状況をうまく言い表している)
こうして振り出しに戻った裁判では、教師たちに対しては原審が認められたが、行政室長については更なる暴力行為が発覚したため、懲役8年の実刑が言い渡された(なお、校長はすでにがんで死去していた)。学校の運営法人は解散させられ、学校は廃校。現在光州市は学校の跡地に、障害者のための総合福祉施設の建設を進めている。これが、1本の映画が韓国社会に甚大な影響を及ぼし、現実を変えた結末である。
だが20年のいま、性犯罪の実際はどうなっているだろうか。昨今の「#MeToo」運動が記憶に新しい中、韓国ではつい最近、新型コロナウイルス感染の大混乱さえも忘れさせる衝撃的な事件が発覚した。スマートフォンのチャットアプリを使って“ルーム”を作り、ルームごとに番号を振って女性たちの性的動画や写真を配信する会員制の闇サイトが摘発されたのだ。「n番部屋事件」と呼ばれるこの事件は、被害者の中に未成年の少女が16人も含まれていたこと、それ以上にサイトの会員数が26万人にも上るという事実に、社会全体があぜんとした。26万というおびただしい数の男たちが高額な「入場料」を支払い、騙された少女たちの裸の画像に殺到したのだ。このような性犯罪事件は韓国だけのものではないが、『トガニ』の教訓が社会に生かされていないばかりでなく、そこには女性を男性より下等な存在と見なす、韓国特有の思想と習慣があるように思う。この問題については、今後、別の映画に絡めて取り上げることになるだろう。
最後に、インド出身の女性文芸評論家、ガヤトリ・C・スピヴァクの言葉を紹介したい。フェミニズムやポストコロニアルの分野で先鋭的な理論を展開するスピヴァクは、植民地支配やジェンダー、階級など、幾重もの抑圧を受ける弱い立場の「サバルタン」と呼ばれる存在が、自らを主張したり異議を唱える「声」すら持つことができない構造を理論化している。そのうえで、彼女はサバルタンたちの「沈黙の声」を世間に聞かせるための「媒介者」の必要性を強調する。媒介者によって「沈黙の声」は世の中に届けられ、社会に変化をもたらす「肉声」になるのだと。
本作では、言葉を持たない聴覚障害児たちの文字通りの「沈黙の声」を、映画の中ではイノやユジンが、そして現実社会では小説やコン・ユが「媒介者」となって、観客の「肉声」を生み出したといえるだろう。「沈黙の声」に耳を傾ける「媒介者」がより多く存在すること。これこそが、弱き立場の人間が被害者となる性犯罪に立ち向かう方法なのだと、私は思う。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。