『ザ・ノンフィクション』出所後、カタギになる難しさ「余命3年の社長と刑務所を出た男 前編~塀の外の夢と現実~」
北洋建設に新たに入った木村は、税理士を目指すべく励んでいたが、仕事で椎間板ヘルニアになり、生活保護をもらうため北洋建設をいったん退社する。しかし生活保護を申請したわずか1週間後に万引きで捕まってしまう。
木村は「悪人」という感じはまったくしない。両親の死に目に会えず、父親が焼かれた棺の中に入っていた100円玉を大事に取っていて、当初は更生の意志を見せていた。
昨年4月の『ザ・ノンフィクション』で登場した、覚せい剤で捕まったタカシも悪人という印象はなかった。木村もタカシも口調などからは、むしろ「感じがいい人」とすら思えた。
では、再犯してしまった木村やタカシと、そうではない人は、どこが違うのだろう。私は番組を見ていて、木村もタカシも「面倒くさがり」かつ「諦めがよすぎる」ように見えた。せっかくつかんだ更生のチャンス、貴重な手を差し伸べてくれる人とのつながり、日々仕事をして生活していくこと――これらを維持していこうというモチベーションが弱く、面倒くささが先に立ってしまっているように見えた。
さらに、諦めがよすぎる。困難が訪れた際に、それを抱え続けていくことができず、結局、今まで通り「面倒くささから逃げる」道を選んでしまっているようにも見えた。
“反社会性”の原点は、半グレやヤクザといった「ワルへの憧れ」や悪事そのものではなく、「面倒くささ」から来ている人も、一定数いるのではないだろうか。特に、ある程度年齢を重ねた人間の場合は、「ワルへの憧れ」なんていうことよりも「面倒くささ」のほうが強いように思える。
木村は同じ店で連日万引きをして捕まった。捕まえてくれ、と言わんばかりの行動に谷は「正直に言ってくれたら協力できることはあるのにね」と諦め気味に話す。ただ、木村にしてみたら「正直に自分のつらさを周囲に訴える」ことは面倒くさく、それよりも、万引きするほうが「ラク」なのだろう。カタギになるというのは、それまでの生活からの「変化」を伴う。面倒くさがりな人間にとって「変化」はすさまじい難敵だろう。
私自身、面倒臭がりで、すぐ嫌になりがちなので木村やタカシには似たものを覚えている。しかし「面倒臭がり」「諦めがよすぎる」性格は本人の想像以上に自分の心を蝕んでいき、さまざまなものを失っていきやすいのだと、恐ろしさで背筋が伸びた。面倒臭さから逃げない小澤の生き方と、彼を支援する人たちを見て、ますます背筋が伸びる思いだ。
次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の後編。『余命3年の社長と刑務所を出た男 後編 ~塀の外の挫折と旅立ち~』。北洋建設に入社した更生を誓う50代と二十歳の新入りにフォーカスを当てる。