『わたしの外国語漂流記』レビュー:読み物としてもおもしろく、外国語習得のヒントも得られる1冊
比較的話者の少ない、いわばマイナーな言語についてのエピソードは、その土地での暮らしや、言葉の特徴について語られる段階で、読み物として十分に魅力的だ。成熟段階や用途によって細かくココナッツの呼称が変わるフィジー語。北欧の厳しい寒さをしのいできたために、特に雪に関連する語彙が他言語より圧倒的に豊富なサーミ語。ほかの生物に対する心理的距離が近く、人間と生物の区別がつけにくかったり、財産を集落全体で共有する暮らしが根付いていて、「ありがとう」に当たる言葉が存在しないプナン語など、使用地域が限られる言語ほど、成り立ちにはその土地の文化や、生き抜いてきた先人の知恵が深く影響している。文化人類学者・奥野克巳氏が「言葉を学ぶとは、たんに言葉を学ぶことではない。言葉の背景にある文化を知ることに直結している」と語るように、言語習得はそのまま異文化学習にもつながっている。
また、英語のようなメジャーな言語と、話者が少ない言語についてのエピソードが並列されている本書では、どんな言語でもまず「母語以外に深く触れる」という経験自体が学習者の視界の解像度を上げ、世界を広げていることがわかる。世界中に存在すると思っていた言葉がなかったり、逆に日本語では表せない概念や感情を得たり――外国語を学ぶ前と後で自身の見えていた世界がどのように変貌したかが、さまざまに表現されている。今自分が見えている世界だけが、世界のすべてではない。それは実際の体感を踏まえた人の言葉だからこそ、強い説得力をもって響いてくる。
開発援助の分野で活躍する岡田環氏は、語学学習を「新しい窓を開ける」と例える。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、自宅で過ごす時間が増えた昨今。精神的なプレッシャーを感じる人にとって本書は、読むだけでもその閉塞感を和らげ、“新しい窓”からの風を感じられるような本になるだろう。そして、時間を持て余している人にとっては、語学学習を始めるモチベーションとなる1冊にも。20代半ばでオランダ語を学び始めた翻訳家の鵜木桂氏は「英語が苦手な人にとっては逆にマイナー言語はチャンス」と書き、言語学者・上田広美氏は「人によって、この言語は覚えやすかったけれど、この言語はとっつきにくいといった、言語との相性もありそう」と分析する。英語でも、その他の言語でも、人生の選択肢を広げてくれる手段の一つになる語学習得。『わたしの外国語漂流記』は、そのきっかけを作ってくれる本になるかもしれない。