藤原紀香、新型コロナ感染拡大に「地球よーごめんね」……「誰も傷つけない」発言の妙
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の有名人>
「地球よーごめんね」藤原紀香
「藤原紀香オフィシャルブログ」(3月27日)
「お祝い」と「お悔やみ」というのは、オトナになると避けて通れないものになるが、芸能人や有名人の場合、これらの義理事が「自身のアピールの場になる」という側面も否定できない部分があるだろう。大スターが結婚した場合、また亡くなった場合など、芸能人など各界の著名人がコメントを発表し、それをメディアが取り上げることで、自分にスポットが当たるからである。
お祝いとお悔やみ、どちらも言葉を選ぶ必要があることに違いはないが、より難しいのはお悔やみではないだろうか。そんなつもりはなくても、不謹慎だったり、不道徳と受け止められる発言をすると、深い悲しみの中にいるご遺族をさらに傷つけることになる。だからこそ、難しいと言えるし、もっと言うとお悔やみを言う側の“本質”のようなものが見える気がしてならない。
タレントの志村けんさんが、3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。所属事務所は志村さんが感染と入院をその前に発表していたが、誰もが回復を信じていたのではないか。それだけに、国民が受けたショックも大きく、こういう不測の事態に、「この人って自分のことしか考えていないんだなぁ」と真底思わされたのが、小池百合子東京都知事のお悔やみコメントだ。
「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんと言えば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています。お悔やみ申し上げます」
志村さんは「新型コロナウイルスは怖いんだよ」と国民に伝えるために、亡くなったのではない。ご本人も回復を望んでいたと思うが、新種のウイルスを前に、医師団も志村さんもなすすべがなかったのだろう。人の死を“功績”と変換してしまうあたりに、小池都知事の情のなさが露呈し、やはり彼女が自分のことしか考えていないと思わされるのだ。
小池都知事は同25日の会見で、「感染爆発の重大局面」として、平日はなるべく家で仕事を、夜の外出は控えて、週末も不要不急の外出は取りやめるように促している。また同27日には「接待を伴う飲食の場で、感染を疑う事例が多発している。ナイトクラブやバーなどの入店を、当面控えてほしい」と呼びかけた。一言でいえば、なるべく家から出ないような生活をしてくれ、ということではないだろうか。
しかし、同29日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)によると、渋谷や原宿は若者が激減しているものの、目黒川沿いには桜を見たい若者が集まっていた。自治体は花見自粛の看板を出しているが、若者たちはスマホで桜を撮影している。20代のある女性は「ずっと通勤で混んでいる電車を使っていて、今更自粛って言われても……」といった具合に、危機意識は薄いようだ。
もちろん若者全員が同じ考えだとは思わないが、小池都知事が再三、三密(換気の悪い密閉空間、大勢がいる密集場所、間近で会話する密接場面)を避けるように呼び掛けても、どこか他人事だった人はいただろう。しかし、志村さんという国民的大スターが亡くなったことで、新型コロナウイルスの怖さが身に染みて、なるべく外出を控えようと思う人も増えるはずだ。それで感染爆発が抑えられれば、国民の安全な生活が保たれることはもちろん、それを主導した政治家としての小池都知事の手腕を示すアピール材料になるのではないか。こうやって考えていくと、「最後の功績」が誰のための言葉かと言えば、小池都知事本人のためではないだろうか。