パーフェクトだった母が脳梗塞にーーシングルマザーが直面した、両親の壮絶な介護
“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。新型コロナウイルスで、外に出かけられずに鬱々としている親世代は少なくない。デイサービスやショートステイが中止されたり、施設への面会が禁止されたりしているという声も聞こえてくる。高齢者が感染すると重症化する恐れがあることから、これらの対応は当然なことだろう。とはいえ、これが長期化するとどんな影響が出てくるのか心配だ。
さて、今回は仕事をしながら両親を見送ったシングルマザーの話をお届けしたい。
娘を育ててくれた自慢の母
春木直美さん(仮名・53)は、東京郊外のマンションに一人で暮らしている。離婚したときには1歳になったばかりだった一人娘のひとみさん(仮名・27)は、結婚して家を出た。時間が変則的な仕事の直美さんに代わって、ひとみさんを育ててくれた両親の謙作さん(仮名)と八重子さん(仮名)は、1年ほど前に相次いで亡くなった。
「私が仕事を続けられたのも、20年以上ひとみを育ててくれた両親のおかげ。本当に感謝しています。母はいつも自分のことは二の次。昔かたぎの父や私たち家族を第一に考えて、とことん尽くしてくれる人でした。家事はパーフェクト。特に母の料理は誰もが絶賛するほどの腕前でした」
母の八重子さんは80歳を過ぎたころから、足の痛みを訴えるようになった。検査したところ、脊柱管狭窄症だと診断された。痛みのため、足腰の筋肉も固まってしまっており、強い痛みが毎日朝から半日ほど続いた。
「母はリハビリにも通いながら自分でもストレッチを続けていました。調子がいい日には買い物に行けたし、家事もやってくれていました」
母が脳梗塞に――
そんな日々が2年ほど続いたある日、八重子さんがこれまでになく強い痛みを訴えた。歩くことはもちろん、立ち上がることもできない。這ってトイレに行くほどだったが、八重子さんも直美さんも脊柱管狭窄症による痛みだと思い込んでいた。いつものように、時間がたてば痛みも治まるだろうと楽観視していたのだが、逆に八重子さんはだんだん顔色が悪くなり、ついには唇が紫に、口も半開きになった。
この頃、直美さんは仕事のため東京で生活し、週末には実家に戻るという生活をしていた。というのも、いったん結婚して家を出たひとみさんが、夫のDVが原因で幼い娘を連れて実家に戻っていたのだ。DVを間近で見続けていたせいか、ひとみさんの娘は人におびえ、極度の人見知りになっていたという。そのことにショックを受けた八重子さんが、ひとみさんの娘の面倒をみると宣言したのだ。
ところが、八重子さんは足の痛みで家事や育児が思うようにできなくなったため、ひとみさんが平日に家事育児をし、週末には直美さんが実家に戻り、ひとみさんが仕事に行くという生活をしていたのだ。
「娘は介護を学んでいたので、足の痛い母のケアをして、通院にも付き添ってくれていました。私の代わりに育ててくれた母のことを、娘は大切にしていたんです。だから、このときも母の様子を見て『これはいつもの痛みとは違う』と、救急車を呼びました」
ひとみさんのカンは正しかった。
八重子さんは脳梗塞を起こしていた。幸い発見が早かったので軽症ですみ、リハビリ病院で半年リハビリをすると、マヒや言語障害もなく、自分のことは自分でできるくらいまで回復した。
ところが、退院当日、八重子さんはベッドから立ち上がろうとしてバランスを崩し、転倒してしまう。
――続きは、4月12日(日)公開