カルチャー
ジャニーズで考える社会学

ジャニーズ・ラウール×ディオールは「メイク文化の解放」か? 「男でも美しくあれ」の拘束か? メディア論教授が解説

2020/03/27 18:45
有馬ゆえ(ライター・編集者)

「ただ、この裏には、女性全体に行き渡ってしまった美容産業が、市場拡大のため男性をターゲットにせざるを得なかったという事情もあるはず。つまり、男性は解放されると同時に、搾取の対象になるということでもあるのです」(田中教授)

 さらに田中教授は、男性のメイクが肯定されることは、既成概念や偏見の助長にもつながりかねないとも指摘する。

「男性までもがメイクをするようになれば、女性に対する『メイクをして当然』という風潮はより強まるかもしれません。メイクをしたくない女性たち、メイクにお金をかけられない女性たちに対する風当たりが強くなる可能性もある」

 また男性のメイクが一般化すれば、容姿の良し悪しによる差別意識(=ルッキズム)も強まるだろう。「『人は男であろうとも美しくあらねばならない』といった考えに行き着けば、男性は解放されるどころか縛り付けられることにもなるかもしれない」。

 ラウールとディオールのコラボは、メイクをするという選択肢を男性に提案した。田中教授が示したとおり、それが資本主義の権威やルッキズムを助長することへの懸念も、また捨て置けない問題だ。「メイク」が性別を超えた「選択肢」として残り続けるためには、多様性への理解がさらに深まっていかなければならないのだろう。

 多様性とは、それぞれが違いを否定することなく受容しあって存在することだ。いま萌芽しつつあるのが「性別を問わないメイクの自由」であるならば、同時に「メイクをする自由」と「メイクをしない自由」の両方が認められるべきだろう。もちろん、従来的な美しさを目指さずとも肯定されなくてはいけない。ラウールが見せたのは、「男性がリップを引く」という目新しい行為だけでない。その先にある多様性への希望なのではないだろうか。

有馬ゆえ(ライター・編集者)

1978年、東京都生まれ。07年からライター、編集者。興味のある分野は、ジェンダー、アイドルとファンダム、離婚家庭の子ども、家族と個人、近代日本の都市文化、プリン・ア・ラ・モード。人の自我形成と人間関係構築に強い関心がある。妻で母です。趣味はコンテンツ消費。育児中につきオタク度低下中。

最終更新:2020/03/27 18:45
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