出刃包丁で143カ所ズタズタに――“うわさ話”に追い詰められた女の鬱屈【練馬・隣家主婦メッタ切り殺害事件:後編】
それは逮捕後の友子の供述からよくわかる。
「佐藤さんは何かにつけて私を目の敵にした。頼みもしないのに私の家の前のドブ掃除をしたのも、私の悪い評判を近所に言いふらすためじゃないか。去年プレハブの子ども部屋を作ったとき、風通しが悪くなる、と文句をつけてきたりしたんです。布団をうちの方に向けてパタパタ叩いたり、電気掃除機でうるさい音を立てたりするのも、嫌がらせだと考えました。佐藤家で飼っていた小鳥もうるさかった」
こう語り、両手首を切り落とそうとしたのも「この器用な手さえなければ、ドブ掃除も、自転車に乗ることもできなくなると思った」。こんな理由からだった。
事件前日、友子は何かを訴えたかったのか、実母の住む実家にふらりと現れた。来客中だったため、母は友子に映画のチケットと3,000円を渡した。
「私、『フーテンの寅さん』を見てくるわ。うさばらしになる」
こう告げて映画に出かけて行った友子の心が晴れることはなく、翌日、事件を起こした。のちに東京地裁で裁かれた友子には懲役10年の判決が言い渡され、控訴せずに確定している。
彼女は近所のうわさに翻弄されたのか、それとも夫の何気ない一言が重荷となり、不条理を押し付けられた憎しみを明子さんに向けたのか――。
友子と夫それぞれの、その後の“ご近所づきあい”
妻に心無い言葉をかけたことを認識しているのかいないのか、友子の夫は事件から1年後、驚くべき行動に出た。被害者である明子さんの夫ら遺族を相手取り、3000万円の損害賠償を求める訴訟を提起したのである。事件の示談協議がこじれた結果であった。
「明子さんの夫らは、友子の夫の勤務先上司宛てに、退職を促すような電話をかけ、さらに自宅の周りに『人殺しの家』など、ペンキで書くなどして退職せざるを得ない状況に追い込んだ」など、果たして本当に明子さんの夫によるものか不明な事柄までも訴えてきたのだ。
「もう、呆れてしまって、開いた口がふさがらないといった気持ちですよ」
と明子さんの夫は当時の取材に応えている。
そして、逮捕後に警視庁の留置場に送られていた当の友子は「幸恵ちゃん誘拐事件」で逮捕され、留置場に入っていた新井フデ(当時42)と同じ房になっていた。酒に溺れ、職を転々とする……そんな男たちとの結婚や出産、そして離婚の果てに、ようやく好きな男性と結婚したフデ。ところが彼とだけは子宝に恵まれず、他人の子どもを誘拐し、自分の子どもとして育ててきた女性だった。フデは、2日後にやってきた友子をこう慰めたという。
「私もつらい経験をした。あんたも気を確かにもちなさい。しっかりしなさい」
新たな“ご近所づきあい”が始まっていた。
<参考文献>
「新潮45」2007年3月号
「週刊実話」1999年11月4日号
「女性セブン」1976年2月18日号
「アサヒ芸能」1977年3月17日号
「週刊女性」1976年2月17日号
「週刊ポスト」1976年2月13日号
「週刊文春」1976年2月12日号
「週刊朝日」1976年2月13日号