『ザ・ノンフィクション』日本的ではないという武器「もう一度 お父さんに逢いたい ~ホストの僕とフィリピンパブ嬢の母~」
『ザ・ノンフィクション』は今回に限らず親子関係をテーマにしたものが多い。「親子関係」は番組のテーマとして鉄板なくらい普遍的で、それほど複雑で難しいケースがあるのだろう。番組に登場したいろいろな親子関係を見てきて思うのは、「子どもが今、幸せなら、それでいいのではないか」ということだ。視聴者が疑問を感じるような親でも、子どもが幸せならそれでいいのではないか。
その点でレオと父親の関係は、再会したことでレオがより前を向けるようになったという、その一点で「良い」のだろう。
10年ぶりに再会したレオと父親は、いい感じに会話をしていた。今、日本のたいていの「父と成人した息子」は彼らより会話ができないように思える。しかし、一度しか会ったことがないのに、その後も関係を続けたい、と息子から思われ、いい感じに会話しているレオの父親は「ズルいな」と思ってしまった。一方で、その「責任を果たしていると思えないのに関係を続けるなんてズルい」と思う感覚は、日本的なものだなとも思う。
レオが働くホストクラブの店長は、レオのハーフという出自は「武器」 だと番組の初めにレオに話していた。最初、この言葉は単なる励ましのように思えたのだが、その後レオの両親のキャラクターや、そしてそんな両親や自分の境遇にわだかまりを抱えていない様子のレオを見ると、店長の言っていたことは本当なのだと思った。
日本的な家族観では、レオの家庭はヘビーに見えるが、グレもいじけもせず、かといって「父親を許容する」という上からの目線もなく、父親との関係をただ続ける。レオのおおらかさは、生きていくにおいて絶対に役に立つものだと思う。そして、それを培ったのはフィリピン人の明るい母親のキャラクターであったり、フィリピンで育った幼少期によるところも大きいのではないだろうか。
少なくない日本人が、日本に閉塞感や息苦しさを感じているように思える。治安や国の豊かさで言えば世界でもトップクラスなのに、なぜか苦しいのは、そういった人がいつの間にか背負い、共有している「日本的価値観」がそもそも閉塞的で息苦しいからではないだろうか。 なので、「違う国にもルーツがある(日本的価値観に染まっていない)」というのは、日本で生活する上において弱点のようで、店長の言うとおり、むしろそれはアドバンテージなのだろう。
次週の『ザ・ノンフィクション』は『花子と大助 ~余命宣告から夫婦の700日~ 前編』。日本を代表する夫婦漫才コンビ宮川大助・花子。2018年3月、骨髄腫により花子は余命半年の宣告を受け、周囲に病気を隠しての放射線治療が始まる。病と闘う700日を見つめる。