“教育の憲法”教育基本法を改悪した安倍政権の狙いは?――「自己責任論」の徹底で縮小された教育行政の責任
――国としての責任を減らすために、「第一義的責任」として親にすべてを押し付けたように見受けられます。続く4つ目は何ですか?
広井 4つ目は、法と道徳の混同という問題です。新設された第6条2項では、学校においては、「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない」と定めています。とても奇妙な条文だと思いませんか? 形式としては学校が行うことを定めているのですが、その実、児童生徒が自ら規律を重んじ、学習に意欲的に取り組まなくてはいけないかのようです。
また、第10条では、親は子どもに「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」と、家庭教育の目的や方法について定めています。第13条の学校、家庭、地域住民の連携・強力に関する条文もそうですが、新法では、努力義務とはいえ、旧法にはなかったこのような国民の任務が盛り込まれるようになりました。
このことは教育基本法に限りません。食育基本法(05年制定)など、00年代以降に制定された法律には、国や自治体の責務に加え、親、地域住民、学校、国民など、それぞれの任務や責任が規定されるようになりました。中には子どもの任務すら書かれている法があります。
その典型がいじめ防止対策推進法です(13年制定)。同法の第4条は、「児童等は、いじめを行ってはならない」と定め、第9条は、「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする」と規定しています。ここでも親の「第一義的責任」が書かれていますが、いじめ問題は第一義的にはいじめた子の親に責任があり、まるで親が規範意識を養わないからいじめが起こるかのようです。
このように、近年の法には国民それぞれの立場に即した任務がかつてなく多く書き込まれており、その結果、法といえるかどうか疑わしい道徳的な規定が盛り込まれることになりました。法が公権力の行使による強制力を持つものである以上、近年の法は公権力が国民の果たすべき役割を定め、その遂行を強制するようになったのです。このことは法と道徳を区別し、公権力が介入する範囲を制限することによって、国民の自由を保障してきた近代法の原理を形骸化するものだと思います。
(後編に続く)