家庭内に押し込まれる子育て・介護、DV、虐待問題――安倍政権と保守派の「24条改憲」の狙いは何か?
――改正草案でいう2項では「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」の「のみ」が消え、3項では、現行憲法の「配偶者の選択」「住居の選定」が消え、「扶養」「後見」「親族」が加わっています。具体例としては、結婚/離婚について個人の自由が制限され、他者の介入を許す可能性が高いということですよね?
清末 明らかにそうです。さらに「住居の選定」が消えていることから、DV被害者が離婚しにくくなったり、逃げにくくなったりすることも考えられます。
――「扶養」という面から考えると、例えば、性的虐待を受けて育った女性の将来父親が、経済的に破綻した場合、女性側に「家族の助け合い」による扶養義務が生じることも考えられますか?
清末 そうですね。ちなみにシンガポールには両親扶養法という法律があります。老親が子からの扶養を求めて、両親扶養裁判所に申し立てができる。ただし条件があります。親がきちんと子どもを養育し、虐待していないなどです。子を虐待した親については、申し立てが却下されたり、扶養料が減額されたりするのです。親としての責任を果たしていない以上、その子が扶養する必要はないということなのです。だから、改正草案のように、家族に関する問題への指針を一律にされると、問題が多いと思います。
――保守派による家庭教育支援法制定(※2)への動きも活発です。国や自治体も、「早寝早起き朝ごはん国民運動」などの施策を行っています。そういった家庭像の押し付けは、現行24条の「個人の尊厳」に抵触する可能性が非常に高いと思いますが……。
清末 そうですね、あれは愛国心の醸成だと思います。「家庭教育」という言葉自体、学校だけでは愛国教育はできないから、家庭で学校の延長線上として教育するという発想で、大日本帝国時代に作られた造語なんですよね。その言葉を使って、いま文科省は施策を行っている。家庭教育支援と聞くと、貧困家庭や大変な問題を抱えている家庭の支援になる、児童虐待の早期発見ができると思う人もいるわけですけど、それは家庭教育支援法を作らなくても、現行の法律を使えばいいのです。むしろ家庭教育と称して、公権力にとって都合がいい一定の家族像を押し付けるために家庭に介入することが可能になる。それは非常に危険です。戦前の皇民化教育につながってきます。
そうした介入は、思想・良心の自由を脅かす可能性があります。どういう形態の家族を持ちたいか、両親が別居・離婚した後の子の意思についても、母親と一緒にいたいとか、父親といたいとか。あるいは家族そのものを持ちたくないとか。人によっていろいろな考え方がありますよ。そういうのは個人の価値観。なので、一定の家族像を国が示すのは、多様性の後退ともいえるのではないでしょうか。
※2 子に「生活のための必要な習慣」「自立心の育成」「心身の調和」を身につけさせることを国民への責務とし、そのために行政が親への教育を支援することなどを目的としている。問題を抱える家庭を支援する面もあるが、家庭や内面への介入が問題視されている。家庭教育支援法については次回取り上げる