『ザ・ノンフィクション』87歳認知症の母を介護する95歳の父「ぼけますから、よろしくお願いします。 ~特別編~」
信友家にとっては、道本さんの家事手伝いや介護支援という“実務”は大いに助かったと思うが、何より、道本さんという「他人」が家に来ること自体が、信友家の空気を和らげていたと思う。道本さんが来るときに母は髪を梳いていた。他人が来ることでちゃんとしなくては、という張り合いができたのだろう。
さらに番組後半、文子が癇癪を起こしたことがあったが、来訪した道本さんは文子の背中をよしよしとさすり、文子は落ち着きを取り戻していた。その後、仕事を終え帰る道本さんに、文子は「また来てね」と、良則は「大ごとじゃねえ、あんたも」と声を掛ける 。これは最大級の「ありがとう」に思えた。あの場で、家族三人だけだったら重たい空気が続いただろうが、道本さんという他人がいたおかげで風穴が開いたように見えた。
家族だからできることもあれば、逆に他人だからできることもある。介護職従事者は家族にとっていい意味で「他人」であり、かつ認知症など難しい症状を持った人の扱いに長けた「プロ」なのだと感じた。こんな偉大な人たちなのだから、彼女・彼らが「働いていて良かった」と思えるような社会であってほしい。
初めて見る老人が「両親」――『ぼけますから、よろしくお願いします。』が持つ役割
都市部に核家族で暮らしていると、祖父母との関係が希薄なまま大人になる人も多いだろう。そうなると、初めて目の当たりにする老人が「自分の年老いた両親」になる。もしきょうだいがいれば老いた両親に関する悩みを分かち合う相手が増えただろうに、一人というのはなかなかヘビーだ。(介護方針をめぐり双方の配偶者まで加わっていがみ合い、押し付け合い、冷戦状態になるきょうだいもいるだろうから、一概にいたほうがいいとは決して言えないが)。
そういう人にとって、『ぼけますから、よろしくお願いします。』の映像が伝えてくれることは計り知れない。淡々と認知症の現実を伝えており、明るい話ではないのだが、現実を知ること自体が救いになるのだと感じた。